森本晃司X仲俣暁生写真(森本晃司X仲俣暁生×佐藤大)選考委員のふたりを呼び出しミーティング!?

佐藤:ジャケ買いをしていただくためにも、イラストは重要ですが、ガガガ文庫のイラストはどうなっていきますかね。人気イラストレーターの絵さえついてればいいのか?みたいな考えも、でてくると思うんですけど。

編集A:イラストレーター買いしたりすることは、実際にあると思うんです。でも、やっぱり中身が良くなければ、2巻目以降は売れませんから、やっぱり中身ありきだとは思いますよ。

編集B:ライトノベルのパッケージと、そこから醸し出される匂いがそろそろ固定してきてる。で、のイメージに、引っ張られ過ぎてしまっている書き手が多い気がする。テキストがあって、その上にかわいいイラストがついて相乗効果が生まれるというのが理想形だと思うんですけど、はじめの段階であんまり既存のイメージにはまり過ぎたキャラクターを書かれてしまうと、その後の広がりが期待できないんですよ。不確定要素がない。

仲俣:でも、そもそも純文学系の小説だって、商品としてのパッケージに気を遣うようになったのってすごく最近だと思うんです。たとえば「J文学」。あのころJ文学はずいぶん叩かれたから、僕は半分くらい擁護もしたんですけど、あれは完全にパッケージで差別化してましたよね。写真を使って、装丁をオシャレっぽくして。

編集C:そうか。いとうのいぢさんの換わりに常盤響さんがいたのか。

仲俣:そういうパッケージが醸し出す特有の匂いっていうのは、いまやどのジャンルでもあるでしょう。でも、ほんとに面白いものは、そこからはみ出たところに出てくる。あるいは、そのジャンルを極限まで煮詰めたときに浮かび上がってくる。ライトノベルから出てきた人が、一般文芸の世界でも活躍することがとても多くなったけど、読んでみると実際に面白いし。

佐藤:そういえば、Vシネも同じようになってますね。哀川翔が出てればいいとか、竹内力が出てればいいとかそういう突き詰めたところで記号化されてる。音楽でも、映像でも、いろんなジャンルでそういうことは起こってるんですね。でも、小説の世界では、J文学とかライトノベル以前にはあまりそういうイメージ勝負みたいなところが表面化することってなかった気がしますね。お金になりそうな匂いがしなかったから、誰も手を打たなかったというのもあるのかもしれないけれど。

編集A:いや、単純に論じられることが少なかっただけじゃないですか? 基本的にはミステリーでもなんでも売れそうな物には取り組んできてるはずですが。

佐藤:そうか。ただ、それが内容というよりはパッケージの確立によって果たされてるというところが、面白いと思うわけですよ。ミステリーでもSFでも学園ものでも、あらゆるジャンルの要素を取り込んで、ライトノベルというフィルターを通せば「OK!」という。ハルヒシリーズも読んでるうちにどんどん違うところにいくじゃないですか。学園ラブコメかと思って読んでいても、そこからどんどん離れていく。その離れ方が楽しい。たとえば、昭和初期に探偵小説が流行ったときに、みんなして探偵小説書いたりしてるじゃないですか。

仲俣:坂口安吾の『不連続殺人事件』とかね。安吾の書いた小説のなかでは、あれが最高傑作じゃないのかなあ。

佐藤:そうそう。安部公房なんかも、すげえ SFだし。ジャンルの有り様とか捉え方とか、その時代によって違ってきてるけど、そのときどきで書き手自体は案外好きなものを書いてたと思うし、別にジャンルに縛られてなかったですよね。今の時代で言うと、流通なんかを考えたときには、ジャンルわけした方が書店さんにも伝わりやすいし、特定の読者に届きやすいってことは確かですよね。でも、それは媒体である編集者とか営業さんとかが考えればいいことで、当事者である書き手や読み手はあまり意識する必要はないんじゃないか、とも思う。

森本:離れ方っていう意味では、僕の中のイメージでは「ドラえもんが急に哲学の話をし始める」くらいの唐突さというか意外性を感じるんですよね。ライトノベルって。

佐藤:(笑)。

森本:そういう振れ幅が面白いですよ。本を開いて読むと、表紙のイラストを見ただけではわからない深さがある。そういう話だったのか!っていう。いつも読んでる人は慣れてるから特別に感じないかもしれないけど、外側から見るとそういうところが魅力ですね。

真似をしたような作品はいりません/自分を信じて欲しい

森本:アニメもそうだけどライトノベルも、特有のお約束を積み重ねていって、どんどん高度にしていってるよね。この世界の中で、遊ぼう!みたいな共通認識。似てる作品があったとしても、ファン同士で「似てるよね」とは囁かれつつ、でも別に面白ければそれは悪いことではないっていう感覚もある。

仲俣:よくわかんない人から見たら全部同じに見えちゃうんだけど、でもたぶん「これとこれはここが違うんだよ」っていうポイントがあるんでしょうね。

佐藤:あっちの方が面白いとか、こっちのはキャラクターがどうとか、言及するの込みで楽しんでる。表現する側にとって一番残酷なのは悪口より無視ですから、読者に恵まれてるということですよね。そういう意味では「良くない。あいつはもうダメだ!」といってくれる人のいないってことが、純文学の抱えてる問題なんだけど、エンターテインメントは、売れなければ成り立たないわけですからわかりやすい。特に、ライトノベルはそれが顕著で、そこが良いところだと思いますね。

仲俣:若い人が身銭を切って買うわけだから、ハズレがないように、というのは切実だと思うんですよ。20代以上の固定層もあるとはいえ、読者層の中心はやっぱり中高生でしょうから。

編集A:エンターティメント商品なので、売れるものを目指すことは正しいんですよ。それを度外視して書かれても困ることは確かなんですけど、でも、だからといって他の売れている作品の真似をしたような作品が欲しいかと言えば、そうではないです。こういう風に言うと、メジャー路線から外れてサブカルに走るのか?と言われがちなんですが、もちろんそういう意味でも、ないです。

佐藤:そこ、重要ですね。

編集A:「これをアニメ化しろ!」みたいな意気込みを感じるキャッチーなものは、ほんとに大歓迎。クオリティさえ高ければ、ステージは確実に上がっていきますので。ただ、やっぱり「〜っぽい」ということではないポイントで勝負していかないと、お話にならないというのはありますよ。

編集C:あのですね。僕が感じるライトノベルの魅力っていうのは、先ほど森本さんがおっしゃってたことと同じなんですけど、「入り口はここなのに、中に入ったらこんなとこいっちゃうのか!」みたいなところなんですよ。物語の構造の基本といわれる起承転結も、ほんとは起承転結でなくても良いのかもしれないし、「起」からずっと走って、なんだかわからないうちに変なところに辿り着いちゃったけど、なんとなく終わった感じがするってだけの小説だって全然アリだと思うんですよ。とにかく人をビックリさせるものを書くんだっていう気概とかね。自分の快楽にとにかく素直になってみて欲しいんですよ。一度、そういう回路を開いてしまえば、きっとどんどん書きたくなるし、それは一種のドラッグのようなものかもしれないけど、でもそれが作家になるということなのかもしれないし。なので、ほんと僕なんかは完成度なんか二の次でよいので、とにかく勢いのある作品が欲しいって思うんです。──って、これ大丈夫? オレが暴走してる!?

一同:(笑)。

編集C:昭和初期の探偵小説でもSFでもいつの時代も勢いのあるジャンルには、ときたま、とんでもないモノがゴロッと出るじゃないですか。そういう波が、今はライトノベルに来てる気がしてるんですよ!

編集A:僕は、普通に面白いモノを求めているので、特に奇をてらう必要はまったくないと思ってますけど… まあ、編集部にはいろんな人間がいます。

編集C:いや! 快楽というのは、ポイントですよ。快楽というものをど真ん中に追求した表現っていうのは、往々にして批判されがちなんですよ。狂ってるとか、間違ってるとか必ず言われるんですけど。でもね、僕はね、思うんですよ。例えば、昭和初期の異端文学とかどうしてああいう風におかしいことになったかというと、あれ戦争前夜の気分なんですよね、きっと。そのあとにそれが煮詰まって戦争が起きるわけです。要するに、何が言いたいかと言いますと、そのころと現在を照らし合わせて考えてみると、つまり、つまりですね、僕は──これから戦争が起こると思うんですよ!

一同:おいっっ!!

編集C:間違ってるのはね、自分じゃなくて世界だから。だから、それを信じて突き進んで欲しい。

編集B:おお。微妙に格好いいじゃないか。

個性的でも凡庸でもない/みんなの知ってる記号/それが次へのパワー

森本:でもさ、そこで気をつけなければならないのは、基本、大衆に向かっていかなきゃならないんですよってことだよね。なにか特別な伝えたいことがあるんだとしたら、それがどうやったら伝わるのかを考えていかないと。どんな記号に変換したら、みんなは振り向いてくれるんだろう?とかね。あとは、お約束が決まってるジャンルなんだったら、とりあえず、それをひっくり返してみるって手もある。ひとつ何かが大ヒットすれば、それが即、次のお約束のベースになる世界でしょう? そういう記号遊びなわけだよね。だから、どうせ記号遊びするんであれば、みんなの知ってる記号を使って、難しい問題を出した方が面白いっていうかさ。そういうシステムなんだと思うんだけどな、ライトノベルは。

編集B:そうなんですよね。ただ、編集部としては、その作品が商品になるかどうかももちろん重要だけど、その人とつき合ってみたいかどうかっていうのも、やっぱり、それ以上に重要だと思ってるんですよ。「さすがに、これはガガガ文庫では出せないな」ってものが送られてきたとしても、そこに作者本人の魅力が滲み出ていて、それが興味の惹かれるモノだったら、別の形をとってでもなんとか一緒に作品を作ってもらえるように動いていきたいと思いますしね。

佐藤:作品の裏に、人が見えればいいってことですかね。段々、見えてきた気がします。確かに、いろいろなクリエイターさんとつき合ってきて感じるのは、デビュー作に自分を出せないとダメだなってこと。作家さんでも監督さんでもミュージシャンにしても、デビュー後の一歩がうまく出せてる人っていうのは、みんな、本人のまんまなデビュー作を残してる。やっぱり、一世一代の大勝負をするべきところじゃないですか、デビュー作って。そこで出し惜しみをするもんじゃないです。

編集D:それに、こんな特殊なもの、誰にもわかってもらえないかもって思っても、意外とそういう層が厚かったりもしますからね。その人のうしろに同じような人が何万人もいるって可能性だってある。でも、それは作品なりなんなりで、外に出してみないとわからないことだから。とにかく顕示してみてほしい。

仲俣:これまでの下読みの経験から言うと、本人にとっては心の奥底にある自分だけのものを出しているつもりなんんだろうな、っていう私小説系の作品だとしても、応募作のなかにはよく似たものがごろごろしてたりする。その一方で、ジャンルのお約束を頑なに守って、優等生的にまとめてきたものもあって、大体、そのどちらかに偏っちゃうんで、それは惜しいなって思う。だから、そのふたつのありがちな山の間を、ダーっと走り抜けるような作品が出てくると、「おお、素晴らしい!」ということになる。ジャンルのお約束を守ろうとしても、どうしても自分の個性がにじみ出してしまう、ということもあるわけで、人は自分が思ってるほど、個性的でも凡庸でもないんですよね。そこを信じて進んで欲しいと思います。

佐藤:こんなの好きなのは自分だけだと思っていたモノでも、もしかしたら何万人もの人に同意を得られていくかもしれないし、それがまた新しいジャンルを生んだりすることもあるかも知れない。とにかく、書いて終わらせて、誰かに読んでもらって欲しいですね。そこまでいって、ようやく第一歩ですから。実は僕は、完璧に自分の思い通りに書けたと思えたことは、今までに一度もないんです。でも、だからこそ人に読んでもらって評価してもらいたいと思うし、確かめたい。それによって、次に行けるパワーが生まれるから。だから、文句でも批判でも歓迎なんです。自分の大切な作品を人に評価されるのって本当に怖いことだけど、とびきり上等な文句を言われて、さらに次に繋げていけたら良いですよね。

以下、次へ続く!

森本晃司森本晃司
1959年生まれ。アニメーション監督。大友克洋監督「AKIRA」の作画監督を経て、監督となる。ケンイシイのPV「EXTRA」で描いた独自のサイバーSFが国内外のアーティストから注目を集め、GLAYや宇多田ヒカルのPVまでを手がける。03年には「アニマトリックス」の「Beyond」がハリウッドで絶賛されるなど、世界がその才能に注視する映像作家。そのほかの代表作に「彼女の想い出」「音響生命体ノイズマン」「永久家族」などがある。

仲俣暁生仲俣暁生
1964年東京生まれ。フリー編集者、評論家。情報誌やデジタルカルチャー誌の編集者を経て、純文学からエンタテインメントにいたる現代文学、インターネット文化などの同時代の表現を幅広く論じる文筆活動に入る。著書『ポスト・ムラカミの日本文学』、『極西文学論 Westway to the World』、『〈ことば〉の仕事』ほか。



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2006年09月17日

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