東浩紀×イシイジロウ×佐藤大写真(東浩紀×イシイジロウ×佐藤大)物語の外にある、キミだけのテーマこそ光だ!!!!

佐藤:今までの話を聞いていくと、これから賞に応募しようとしている読者にとっては「じゃあ、いったい何を書けばいいんだよ」ってことになっちゃうと思うんですよ。なので、ぶっちゃけ、どんなものを読みたいのか。それを、評論家である東さん、ゲームクリエーターであるイシイさんにお聞きしたい。

東:たとえば、方程式が見えてくるような“巧い”作品ってありますよね。伏線もバッチリだし、社会問題も練りこんであって、気が利いてたりする。今のライトノベルの水準は高くなっているので、そういう作品は増えています。ライトノベルという新しいジャンル全体のレベルの底上げがされてよかったとも思う。でも、読んで驚くのはそういうものじゃない。なんでそうなったのかわからない、インパクトやパワーのあるものが、僕は読みたい。

佐藤:“巧い”作品は、方程式を解いている様子が見えてきちゃいますよね。読んでいてアツくはなれない。

東:それはイラストにも言えると思います。30年、40年前に比べると、日本人のイラストの進化はめざましい。ネットで描いてる中学生でも「なんでこんな塗りができるの?」っていう“巧い”人はいっぱいいますよ。底上げされたけど、でも、じゃあキャラデザインとか、絵としての魅力で、インパクトを与えてくるような人がどんどん出ているかというと、それは違う。そういう意味ではライトノベルもイラストの進化と似たところがある。今のライトノベル界の“巧い”作家を見て学んで、さらに“巧い”作家がいっぱい出ているけど、そういう“巧い”よりも「なんでこの話がこういう展開になるのよ?」「コイツの書くものはほんとにわからん」みたいな迫力がほしい。

イシイ:僕はライトノベルというジャンルを壊すようなものが読みたいなと思いますね。そういうものが出てきてほしい。たとえば『エウレカセブン』は、アニメを観た人がつくってるものとは違う引き出しが山ほどある。

佐藤:むしろ引き出しの方が多かったりします(笑)。

イシイ:あれは引用なんだけど、違うジャンルからの引用だからオリジナルになるし、見たことないものになる。そういう、異物と混ざった作品が読みたいですね。ライトノベルの賞に応募する人は、当然「ライトノベル」というジャンルが好きなんでしょう。でも、もう一歩進んで、ライトノベルは好きだけど「まだまだ、こんなもんじゃないぜ」「これが俺のライトノベルだ!」みたいな気持ちで書かれたものの方が、マンネリを感じている読者の琴線にひっかかるんじゃないかと思います。
ライトノベルもその傾向があるかもしれないけど、ゲームも、ビッグタイトルの続編が売れるという現状があって厳しい。でも、そんな中で新しいことをやるっていう挑戦は続けてますね。インディーズの同人ゲームって、昔はテトリスとか小さいものをつくる感じだったのが、今ってサウンドノベルがどんどん出てきてますよね。ああいう可能性というものに対して、負けないようにメーカーも冒険していかなくては、とも思うし。

佐藤:「ズレ」とか「枠におさまらない」みたいなことですよね。こういう話は抽象的だし、よく耳にするし「ンなことはわかってるよ!」って話ではあるんですけど、でも、いつのまにかみんな忘れてしまうんですよね。僕も脚本家だからよくわかるんですけど、やっぱりどこか“安心”の方に流れがちなんですよ。たとえば絵コンテマンや演出の人に伝えるときに、わかりやすい、伝えやすい書き方をしちゃう時が多かったりするんです。だけど、そこでは化学反応が起きない。予想通りだね、というコンテになってしまう。それは、制作の効率を考えるとすごくいいことなんだけど、でも、見たことがあるものしかできない。そのへんはすごく考えてしまいますね。

イシイ:サウンドノベルがヒントを与えてくれるとしたらこういうことですね。最近のライトノベルは小説を含めて絵から入ってるものが多いと思うんですけど、サウンドノベルは絵によって語られていない部分を文章で表現しようとしているんです。枷があるぶん、サウンドノベルの文章は、小説とは違ったオリジナリティのある文章が出てくることがある。心理描写におもしろいものが出てくるのも特徴のひとつですね。そういうことも考えつつ書いてみると、今までとは違う面白いものが出てくるんじゃないかなと。

佐藤:文章と絵が、それぞれ違うものを語って、受け手の気持ちを揺さぶるということですね。

イシイ:見てるものと違うものを語って、相乗効果でなにを生むかということです。モンタージュ理論とはまた違うんですけど。

物語の外側に確固たるテーマを/「まだまだ、こんなもんじゃないぜ」/わかりやさすさだけでは

佐藤:この間、東さんと話してて、アニメには評価体系、メディアがないよね、ということになった。ゲームもライトノベルもそうかもしれないですよね。東さんがさっき言ってたような、ブログでなんとなく総合的に理解されてて消化されていくという方向に流れていってる。それをどうしたら突破できるんですかね。問題点はかなり見えてきてる感じがするんです。その問題点は受け手にあるってことになりがちだけど、それだけではない気もするんです。僕らはたまたま作り手であり、作ったものを評価するプロでもあるわけですけれども。

東:んー。あえて言えば「テーマ」でしょうね。

佐藤:やっぱりそこですか!

東:テーマという言い方でなくてもいいんだけど、必要なのは、自分の「外側」になにかの基準を作ることです。テーマを決めてストーリーを作れば、「ラストには違うテーマになっちゃってるじゃん!」と気がつくことができる。ストーリーの外側にしっかりとした対象物をもたないままに虚構世界をつくろうとすると、虚構をどう構築していけばいいのか、立脚点がなくなってしまう。この立脚点を発見するのが難しい。これを発見できないと、言語の世界だけできれいな世界をつくって、ただ良くできているだけになってしまう。言いかえれば、最初の段階で設定した規則がただ展開しているだけの作品になってしまう。さっき言った「方程式」ものですね。

佐藤:テーマという名の冷静な自分を置いておくと。

東:だから、自分のなかに、変えたいと思っても変えられないような絶対的な立脚点をもってないといけない。別の言葉で言えば、現実感をつくっておくということです。「このキャラは、こうは動かないだろ」という感覚がなければ、どうとでも動かせちゃう。ライトノベルの虚構世界は本当に自由度が高いんで、それがないと、構造的なきれいさが先行して、6人いたら3人と3人のパーティにわけてみるかとか、そんな判断しかなくなってしまう。「違う、こいつはこいつと一緒に行かないよ」っていう必然性がないと、ストーリーは展開しない。そして、その立脚点は、ある程度テーマということにつながる。物語の展開の外側に確固たるテーマをつくっておかないと、物語はつくることができない。

佐藤:都合が悪くなったら違うキャラが出てきちゃう、みたいな。

イシイ:マルチエンディングのシステムを最初からイメージしちゃうと、ストーリーが混乱しちゃいますよね。

東:その方向で突き詰めると、設定しかつくれなくなっちゃう。まあ、「自分の外側に立脚点を作る」というのは、言うは易いけど、結構難しいことだと思います。

佐藤:分析力と共感力の両方が必要ってことですよね。脚本では、共感力は大切ですね。ああ、この主人公だったらここで鼻水たらして告白するよな、でもこいつだったら、かっこつけて言うけど実際はこけちゃうよなという、共感を読者はしたいわけでしょ。

東:もっと単純なことかな。天動説、地動説ってありますよね。数学的にどっちがきれいかというと、天動説もよくできているんです。でも天動説が間違いなのは何故か。それは、実際に地球が太陽の周りを回っているからだ、という単純な事実があるからです。そういう話に近い。そうじゃないと、きれーいな天動説ができてしまう。

佐藤:なるほど。でも、そのたとえを聞くと、よくできた天動説、というのも読みたくなってきてしまう(笑)。

東:例えばメタフィクションと呼ばれるものがありますよね。スワニスタフ・レムが書いた「架空の書物に対しての書評」が有名ですが、あれは本当はすごく難しい。架空だからなんでも書けるわけですよね。その世界だけで完結したロジックでなんでもつくれる。でも、それだけじゃ書評に見えない。架空の書物への書評なのに、そこに書評としての実在感をもたせるためには、文章の外側に「何か」があるという感覚が決定的に大切なんです。普通それは、テーマとか、現実とか呼ばれている。でも、それがキャラクターの存在感でもいいのかもしれない。それを発見できない大抵の人は、まず真似からはじめると思うんです。外側の立脚点を借りてくる。つまり「何かのような小説」を書きたいという具合になる。でも、この方法でずっと行ったら、絶対に自滅する。そして、そういうひとがあまりに増えると、負のサイクルがライトノベルというジャンル全体に回って、自家中毒になって止まってしまうかもしれない。

佐藤:読む方も「似てるじゃん」で終わりになっちゃいますよね。

イシイ:発明、ということですね。なんて、これが一番難しいと思うけど(笑)。

東:やっぱり外側になにかがあって、できればそれがライトノベルの枠に収まらないようなものだと大変いいんですよね。小説を書こうと思ったら、そういう、自分だけの立脚点を発見するといいんじゃないでしょうか、「毎日10枚書くぞ!」みたいな練習はその後でいいと思いますよ。

佐藤:そうかもしれない(爆笑)!

イシイ:素振りはするけど、試合は出るのか? っていう話ですよね。

東:何の試合にでるかまず決めないと(笑)。まずは自分だけが書きたい何か、ですよ!




東浩紀東浩紀
1971年生まれ。哲学者・批評家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会学。1993年にデビュー。1998年に出版した思想書が話題となり、新世代の批評家として注目を浴びる。現在はオタク系サブカルチャーの現場に批評家として関わるかたわら、国際大学グローバル・コミュニケーション・センタ(GLOCOM)で情報社会学の研究を行っている。主な著書に『存在論的、郵便的』『動物化するポストモダン』。

イシイジロウイシイジロウ
1967年1月28日生まれ。兵庫県出身。リクルート、カルチュアコンビニエンスクラブで広告制作・映像制作を学び、日本経済新聞社グループ日経ビデオバンクに入社。96年同社にてなぜかゲーム制作を開始。『Little Lovers』など実験作を制作後、2000年チュンソフト入社。『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』で第9回 CESA GAME AWARDS優秀賞を受賞。現在サウンドノベルシリーズの新作を開発中。

佐藤大メッセージ

佐藤大 ガガガトーク第 2弾には、ライノベルに詳しくて、しかも「大好き」じゃなくて超俯瞰から見てくれる人をゲストにお呼びしました。『動物化するポストモダン』を書き、ファウストを立ち上げたメンバーである東浩紀さん。そして、ギャルゲーの原点であるテキスト・アドベンチャー『弟切草』『かまいたちの夜』で初めて商売を成立させた人であるイシイジロウさんです。
ライトノベルではギャルゲー、美少女ゲー、エロゲーからの影響を感じられる作品が、数年前から目立つようになってきましたが、その潮流については僕は門外漢なので、詳しい人に話を聞きたいと思いました。話を聞いてみると、東さんは、ライトノベルのクリエイティビティに対して期待を寄せていることが伝わったし、イシイさんは死に体になっているテキスト・アドベンチャーの新しいカタチを模索しようとしていることがわかった。今回のキーワードは、「現状の打破」「新しいクリエイティビティのカタチ」とも言えると思います。これは、僕らがライトノベルの業界に船出をしようとしている、今の状況にリンクしていると思います。

ガガガトーク第3弾ゲストは、劇団ひとり!!!大槻ケンジ!!!

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2006年07月12日

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