

佐藤:9月末、ライトノベル大賞の募集にもついに締切がやってきます。そこへ向けて最後の追い上げをしている… そんなころでしょうか。その作品が、いったいどんな人に届いてどういう風に読まれるのか、気になるところだと思いますので、そんなところも伝わるといいんじゃないかな、といった趣旨も込めまして、今回はちょっと変則的なガガガトークです。
仲俣:僕は小説の賞の審査員というのははじめてなんですよ。でも、いろんな新人賞の下読みを3、4年やってきているので、応募作に触れる機会自体は、これまでもかなりあったんです。
佐藤:ちなみにその「下読み」というのは──。
仲俣:賞によって微妙に違うと思うんですけど、審査員とか選考員とかいって名前の出ている人というのは、大体、最終選考に残った数作しか読まないんです。時間の問題もあるし仕方ないですよね。なので、大量にくる応募作をその前段階でふるいにかけなければいけないんですけど、その第1段階で行われるのが「下読み」ですね。第1次選考、ないしは2次選考で、下読みチームで手分けをして全作品に目を通します。これが通常の選考方法。だけど、僕が選考委員をやるとしたら、その方法はとりたくないなと思っていました。なので、ガガガ文庫では、もっとはじめの段階から関わらせていただくことにしたんです。
森本:僕は映像の審査員というのは、何度もやっているんですけど、テキストの選考ははじめて。なんでライトノベルに関わろうと思ったかというと、それはライトノベルにめちゃくちゃ可能性を感じたからなんですよ。流行とかそういうことではなくて、もっと違う何かが起こりそうな予感がすごくある。なので、こうして参加できて、わくわくしてます。
佐藤:そのスタンスって僕や編集部も含めて、みんな同じなんじゃないかって思います。純粋にドキドキしたりワクワクしたりしたい、という。仲俣さんと森本さんは、ライトノベルというものに関してどんなイメージを持っていますか。
仲俣:そうですね。いろんな賞で応募されてくる若い人たちの作品を見ていると“ライトノベル"と“ライトノベルじゃない小説"のはっきりとした境目は、どんどんなくなってきてるように感じますね。今、物語を書くときのみんなの経験のベースは、小説だけじゃなくて、漫画、映画、アニメ、ゲーム… と広がってきてるのは共通してるだろうし。どこに応募するかっていうのは、どこで本が出したいかっていう希望なだけで、作品自体の線引きはもうあまりできない気がする。
森本:自分はイラストのせいではじめは遠巻きに見てましたね。やっぱり相容れない部分があった。ウチのこどもがライトノベル好きなんですけど、カミさんなんかは、いかがわしいものを見るような目で見てたりしてましたよ。ちょっとエロ本扱い、みたいな。でも、読んでみるとわかるけど、“そういうこと"じゃないんだよね。当たり前だけど「カワイイ女の子に萌え〜」っていうだけじゃない。逆に、いわゆる文学といわれるような昔の小説にだって、これライトノベルの文法だよねっていうものがたくさんあるじゃんと思ったしね。
森本:ただ、そうやって絵で退く人も多いっていうのは、ひとつの事実ではあると思う。この絵だから良いっていう人がこのジャンルを支えてるのかもしれないけど、そろそろ、もうちょっとバリエーションがあってもいいよね。自分もオタクなんで言うんですけど──こういうオタク向けのパッケージばかりじゃなくてもいいんじゃないかな。頑なに「ライトノベルはこうあるべき!」なんていうこと自体がおかしいことでしょ?と思う。
佐藤:かつてのアニメがまさにそうでしたよね。もともとアニメも、テレビの中でアウェイな位置にいた。「そんなの見てるんじゃありません」的な。でも、今じゃ、金になるかもなんて大人たちも思い始めて、国まで動くようになって。
森本:そうなんだよね。声優にも女優さんとかタレントさんが率先してつくようになってる。
佐藤:主題歌もJ-POPの人たちなんかは、昔はたぶんアニメの歌なんてイヤだったと思うんですけど、今はアニソンの枠は争奪戦になってますからね。かつてのCMとかドラマ主題歌のように。僕は、ライトノベルもそのくらい、高い訴求力、影響力を内包してると思うんですよ。でも、ライトノベルに関わっている人たちは、どうも自らその枠を限定していっちゃってるように見える。売り場の隔離感にも一因があると思いますが。
仲俣:普通に本屋に行ったら気がつかない場所にあるよね、大抵。
佐藤:お客さんもそうであることを望んでいるのかもしれないし、ある意味でアングラでいたいって気持ちもあるのかも。
森本:広く一般に受けるようにしていっちゃったら、オレたちつまんないよっていう気持ちは、わかりますからね。
佐藤:というか、そもそも小学館が参入するっていう現象自体が、もはや、そういうニュアンスで捉えられている気がします。流行ってるからやってるんでしょ?みたいな話は、当然出てくるだろうし。まあ、当然、そういう背景も無関係ではないですよね。だって、それは、本屋さんだからさ、小学館は。売れる本を作ってナンボというところは避けられないわけですよ。
じゃあ、売れるものを作るために、ライトノベルレーベルを立ち上げるために、どういう作品を求めているのかって話になりますよね。完成度が高いものを求めているのかといえば、そもそも、ライトノベルというジャンル自体がそれを求めてないんじゃないかいう疑惑もあって。『ライトノベルを書く!』でも各作家さんが語ってますけど、すべての項目の平均値を高めるというよりは、世界観であったり、キャラクターであったり、何かひとつの突出したインパクトを持つことが大切なんじゃないか、と。『ライトノベルを書く!』では、とくにプロットを重視しようっていう意見が多かったですね。
編集A:そこはやっぱり、作り手の感覚がゲームクリエイターに近いというか──それはPCの美少女ゲームもテーブルトークRPGも含めて、ですが──やっぱり密接な繋がりがありますよね。ゲームは基本ケツまで決めて取りかからなければ、絵もなにも決められませんから、そういうことからもみんなプロットはちゃんと作らないとダメだって意識が共通してるんじゃないでしょうか。分岐するにしても、その箱の中でどう動かすかという選択になる。そういう傾向にあるようですね。
佐藤:でも、別にプロット至上主義というわけではないんでしょう?
編集A:もちろん、そういうことではないです。ライトノベルはキャラクター小説と捉えられもするように、キャラクターも重要ですし。でも、いくらキャラが良くてもお話がしっかりしてなければ、ちゃんと動いていかないわけですから。キャラを活かすためにもプロットは必要だと思いますよ。
佐藤:ともすると、ダブルスタンダードを内包しているのかな、とも思えますね。その辺の橋渡し役が、ライトノベル大賞であり、審査員ということになるのかな。
編集B:うちの文庫に関して言えば、基本的には賞の受賞がどうとかいうより、その後、編集者が作家さんひとりひとりと、どうつき合っていけるかにすべてがかかっていると思っています。それは、大さんやトークにでてくださった方々、それに選考委員の森本さん、仲俣さん、冲方さんとの付き合いにも言えること。基本的に人の繋がりで参加していただいていますからね。お金出しますから名前貸してくださいというスタンスでお願いした人はひとりもいないんですよ。たとえば、森本さんや仲俣さんなんて、ライトノベルにまったく関係ないように思えるかもしれないけど、でもライトノベルをポップなものとしてとらえるならば、このふたりの参加も必然だと思っています。
佐藤:確かに、みんな、能動的に集まってきてますよね。冲方さんにしても初回のトークの段階では、選考委員に決まってたわけじゃないですしね、実は。
編集B:そう。大さんや選考委員のみなさんも、編集部の一員と思ってもらってもいいくらい。お金のことに関して言えば、はっきり言って、割が合わないと思いますし(笑)。
佐藤:お、言った(笑)!
編集B:なので、反対に、「先生、お墨付きください!」というような気持ちで大賞に応募してこられても、それには応えられるかどうかわからないですね。そうではなくて、僕らと一緒にひとつの作品を、そして、ガガガ文庫を作っていってくれる人と出会いたい。だから、そういう意味でも、応募作自体の完成度はあまり求めてないんですよ。もちろんあるに越したことはないけれど、それは一緒に練っていけばいいことだから。選考委員にしても、来年はまた変わるかも知れないけれど、でも、今年の委員の方々との繋がりがなくなるわけじゃなくて、別の企画を一緒にやってるかもしれない。要は、チームとして、魅力的でありたいと思っているんです。
佐藤:そうですね、まさにそういうお話だったからこそ、僕もこのプロジェクトに関わっているわけですし。この箱が楽しそうだった、というのは純粋にありますね。僕、昔、好きだった音楽のシーンがまだなかったころ、日本にそのシーンをつくりたいと思って、音楽レーベルを立ち上げたんですよ。今、そのころと近い匂いも感じています。まず、箱を用意して、そこから出す作品を集めてという作業。わくわく感がありますよね。文庫立ち上げって、やっぱり祭だと思うんですよ。そしたら、やっぱりその御輿は担ぎたいじゃないですか。担がれたくはなくても、担ぎたい(笑)。
仲俣:文化祭で一番楽しいのは、準備期間ですからね、やっぱり。だから、僕も最終選考に残ったものだけを読むのではない関わり方をさせてもらうわけで。こうやって座談会をやることもそうだし、創刊に向けてみんなといろいろ話したり、そういうプロセスを踏んでいけることが、僕にとっても大切なことなんですよ。
佐藤:僕は、もう本を読めば立派な当事者だと思うし、祭の参加感を感じてもらえたらなと思いますね。コンサートとかでもそうだと思うんですよ。ステージでどんなにいい演奏してても、客がひとりもいなかったら、ひっどいものになると思いますよ。でも、そこにひとりでもお客さんがいるだけで、全然変わってくる。そして、それが何千人、何万人になってきたら、もうどんどん変わってくる。それは、ステージの上だけの問題じゃないじゃないですか。そういうことが、小説でも言えると思うんですよね。
森本:ああ、絵を描いていても、それはほんとにそう思いますよ。
仲俣:音楽レーベルの話がでましたけど、ここが、ライトノベルの重要なポイントなんじゃないかと思いますね。いわゆる純文学の本は作家単位で、どこの出版社からでてるのかは、もうあまり意味がないんですよ。だから、ライトノベルの「このレーベルから本を出したい!」「このレーベルの本なら面白そう」みたいな感覚があるのって、すごくいいと思う。イラストによるジャケ買いがあるあたりもちょっと音楽に近いでしょ。ライトノベルの世界を外から見ていると、その盛り上がり方は、ちょっと眩しく感じますよ。

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1959年生まれ。アニメーション監督。大友克洋監督「AKIRA」の作画監督を経て、監督となる。ケンイシイのPV「EXTRA」で描いた独自のサイバーSFが国内外のアーティストから注目を集め、GLAYや宇多田ヒカルのPVまでを手がける。03年には「アニマトリックス」の「Beyond」がハリウッドで絶賛されるなど、世界がその才能に注視する映像作家。そのほかの代表作に「彼女の想い出」「音響生命体ノイズマン」「永久家族」などがある。

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1964年東京生まれ。フリー編集者、評論家。情報誌やデジタルカルチャー誌の編集者を経て、純文学からエンタテインメントにいたる現代文学、インターネット文化などの同時代の表現を幅広く論じる文筆活動に入る。著書『ポスト・ムラカミの日本文学』、『極西文学論 Westway to the World』、『〈ことば〉の仕事』ほか。
2006年09月12日 trackback (0) ▼


佐藤:ジャケ買いをしていただくためにも、イラストは重要ですが、ガガガ文庫のイラストはどうなっていきますかね。人気イラストレーターの絵さえついてればいいのか?みたいな考えも、でてくると思うんですけど。
編集A:イラストレーター買いしたりすることは、実際にあると思うんです。でも、やっぱり中身が良くなければ、2巻目以降は売れませんから、やっぱり中身ありきだとは思いますよ。
編集B:ライトノベルのパッケージと、そこから醸し出される匂いがそろそろ固定してきてる。で、のイメージに、引っ張られ過ぎてしまっている書き手が多い気がする。テキストがあって、その上にかわいいイラストがついて相乗効果が生まれるというのが理想形だと思うんですけど、はじめの段階であんまり既存のイメージにはまり過ぎたキャラクターを書かれてしまうと、その後の広がりが期待できないんですよ。不確定要素がない。
仲俣:でも、そもそも純文学系の小説だって、商品としてのパッケージに気を遣うようになったのってすごく最近だと思うんです。たとえば「J文学」。あのころJ文学はずいぶん叩かれたから、僕は半分くらい擁護もしたんですけど、あれは完全にパッケージで差別化してましたよね。写真を使って、装丁をオシャレっぽくして。
編集C:そうか。いとうのいぢさんの換わりに常盤響さんがいたのか。
仲俣:そういうパッケージが醸し出す特有の匂いっていうのは、いまやどのジャンルでもあるでしょう。でも、ほんとに面白いものは、そこからはみ出たところに出てくる。あるいは、そのジャンルを極限まで煮詰めたときに浮かび上がってくる。ライトノベルから出てきた人が、一般文芸の世界でも活躍することがとても多くなったけど、読んでみると実際に面白いし。
佐藤:そういえば、Vシネも同じようになってますね。哀川翔が出てればいいとか、竹内力が出てればいいとかそういう突き詰めたところで記号化されてる。音楽でも、映像でも、いろんなジャンルでそういうことは起こってるんですね。でも、小説の世界では、J文学とかライトノベル以前にはあまりそういうイメージ勝負みたいなところが表面化することってなかった気がしますね。お金になりそうな匂いがしなかったから、誰も手を打たなかったというのもあるのかもしれないけれど。
編集A:いや、単純に論じられることが少なかっただけじゃないですか? 基本的にはミステリーでもなんでも売れそうな物には取り組んできてるはずですが。
佐藤:そうか。ただ、それが内容というよりはパッケージの確立によって果たされてるというところが、面白いと思うわけですよ。ミステリーでもSFでも学園ものでも、あらゆるジャンルの要素を取り込んで、ライトノベルというフィルターを通せば「OK!」という。ハルヒシリーズも読んでるうちにどんどん違うところにいくじゃないですか。学園ラブコメかと思って読んでいても、そこからどんどん離れていく。その離れ方が楽しい。たとえば、昭和初期に探偵小説が流行ったときに、みんなして探偵小説書いたりしてるじゃないですか。
仲俣:坂口安吾の『不連続殺人事件』とかね。安吾の書いた小説のなかでは、あれが最高傑作じゃないのかなあ。
佐藤:そうそう。安部公房なんかも、すげえ SFだし。ジャンルの有り様とか捉え方とか、その時代によって違ってきてるけど、そのときどきで書き手自体は案外好きなものを書いてたと思うし、別にジャンルに縛られてなかったですよね。今の時代で言うと、流通なんかを考えたときには、ジャンルわけした方が書店さんにも伝わりやすいし、特定の読者に届きやすいってことは確かですよね。でも、それは媒体である編集者とか営業さんとかが考えればいいことで、当事者である書き手や読み手はあまり意識する必要はないんじゃないか、とも思う。
森本:離れ方っていう意味では、僕の中のイメージでは「ドラえもんが急に哲学の話をし始める」くらいの唐突さというか意外性を感じるんですよね。ライトノベルって。
佐藤:(笑)。
森本:そういう振れ幅が面白いですよ。本を開いて読むと、表紙のイラストを見ただけではわからない深さがある。そういう話だったのか!っていう。いつも読んでる人は慣れてるから特別に感じないかもしれないけど、外側から見るとそういうところが魅力ですね。
森本:アニメもそうだけどライトノベルも、特有のお約束を積み重ねていって、どんどん高度にしていってるよね。この世界の中で、遊ぼう!みたいな共通認識。似てる作品があったとしても、ファン同士で「似てるよね」とは囁かれつつ、でも別に面白ければそれは悪いことではないっていう感覚もある。
仲俣:よくわかんない人から見たら全部同じに見えちゃうんだけど、でもたぶん「これとこれはここが違うんだよ」っていうポイントがあるんでしょうね。
佐藤:あっちの方が面白いとか、こっちのはキャラクターがどうとか、言及するの込みで楽しんでる。表現する側にとって一番残酷なのは悪口より無視ですから、読者に恵まれてるということですよね。そういう意味では「良くない。あいつはもうダメだ!」といってくれる人のいないってことが、純文学の抱えてる問題なんだけど、エンターテインメントは、売れなければ成り立たないわけですからわかりやすい。特に、ライトノベルはそれが顕著で、そこが良いところだと思いますね。
仲俣:若い人が身銭を切って買うわけだから、ハズレがないように、というのは切実だと思うんですよ。20代以上の固定層もあるとはいえ、読者層の中心はやっぱり中高生でしょうから。
編集A:エンターティメント商品なので、売れるものを目指すことは正しいんですよ。それを度外視して書かれても困ることは確かなんですけど、でも、だからといって他の売れている作品の真似をしたような作品が欲しいかと言えば、そうではないです。こういう風に言うと、メジャー路線から外れてサブカルに走るのか?と言われがちなんですが、もちろんそういう意味でも、ないです。
佐藤:そこ、重要ですね。
編集A:「これをアニメ化しろ!」みたいな意気込みを感じるキャッチーなものは、ほんとに大歓迎。クオリティさえ高ければ、ステージは確実に上がっていきますので。ただ、やっぱり「〜っぽい」ということではないポイントで勝負していかないと、お話にならないというのはありますよ。
編集C:あのですね。僕が感じるライトノベルの魅力っていうのは、先ほど森本さんがおっしゃってたことと同じなんですけど、「入り口はここなのに、中に入ったらこんなとこいっちゃうのか!」みたいなところなんですよ。物語の構造の基本といわれる起承転結も、ほんとは起承転結でなくても良いのかもしれないし、「起」からずっと走って、なんだかわからないうちに変なところに辿り着いちゃったけど、なんとなく終わった感じがするってだけの小説だって全然アリだと思うんですよ。とにかく人をビックリさせるものを書くんだっていう気概とかね。自分の快楽にとにかく素直になってみて欲しいんですよ。一度、そういう回路を開いてしまえば、きっとどんどん書きたくなるし、それは一種のドラッグのようなものかもしれないけど、でもそれが作家になるということなのかもしれないし。なので、ほんと僕なんかは完成度なんか二の次でよいので、とにかく勢いのある作品が欲しいって思うんです。──って、これ大丈夫? オレが暴走してる!?
一同:(笑)。
編集C:昭和初期の探偵小説でもSFでもいつの時代も勢いのあるジャンルには、ときたま、とんでもないモノがゴロッと出るじゃないですか。そういう波が、今はライトノベルに来てる気がしてるんですよ!
編集A:僕は、普通に面白いモノを求めているので、特に奇をてらう必要はまったくないと思ってますけど… まあ、編集部にはいろんな人間がいます。
編集C:いや! 快楽というのは、ポイントですよ。快楽というものをど真ん中に追求した表現っていうのは、往々にして批判されがちなんですよ。狂ってるとか、間違ってるとか必ず言われるんですけど。でもね、僕はね、思うんですよ。例えば、昭和初期の異端文学とかどうしてああいう風におかしいことになったかというと、あれ戦争前夜の気分なんですよね、きっと。そのあとにそれが煮詰まって戦争が起きるわけです。要するに、何が言いたいかと言いますと、そのころと現在を照らし合わせて考えてみると、つまり、つまりですね、僕は──これから戦争が起こると思うんですよ!
一同:おいっっ!!
編集C:間違ってるのはね、自分じゃなくて世界だから。だから、それを信じて突き進んで欲しい。
編集B:おお。微妙に格好いいじゃないか。
森本:でもさ、そこで気をつけなければならないのは、基本、大衆に向かっていかなきゃならないんですよってことだよね。なにか特別な伝えたいことがあるんだとしたら、それがどうやったら伝わるのかを考えていかないと。どんな記号に変換したら、みんなは振り向いてくれるんだろう?とかね。あとは、お約束が決まってるジャンルなんだったら、とりあえず、それをひっくり返してみるって手もある。ひとつ何かが大ヒットすれば、それが即、次のお約束のベースになる世界でしょう? そういう記号遊びなわけだよね。だから、どうせ記号遊びするんであれば、みんなの知ってる記号を使って、難しい問題を出した方が面白いっていうかさ。そういうシステムなんだと思うんだけどな、ライトノベルは。
編集B:そうなんですよね。ただ、編集部としては、その作品が商品になるかどうかももちろん重要だけど、その人とつき合ってみたいかどうかっていうのも、やっぱり、それ以上に重要だと思ってるんですよ。「さすがに、これはガガガ文庫では出せないな」ってものが送られてきたとしても、そこに作者本人の魅力が滲み出ていて、それが興味の惹かれるモノだったら、別の形をとってでもなんとか一緒に作品を作ってもらえるように動いていきたいと思いますしね。
佐藤:作品の裏に、人が見えればいいってことですかね。段々、見えてきた気がします。確かに、いろいろなクリエイターさんとつき合ってきて感じるのは、デビュー作に自分を出せないとダメだなってこと。作家さんでも監督さんでもミュージシャンにしても、デビュー後の一歩がうまく出せてる人っていうのは、みんな、本人のまんまなデビュー作を残してる。やっぱり、一世一代の大勝負をするべきところじゃないですか、デビュー作って。そこで出し惜しみをするもんじゃないです。
編集D:それに、こんな特殊なもの、誰にもわかってもらえないかもって思っても、意外とそういう層が厚かったりもしますからね。その人のうしろに同じような人が何万人もいるって可能性だってある。でも、それは作品なりなんなりで、外に出してみないとわからないことだから。とにかく顕示してみてほしい。
仲俣:これまでの下読みの経験から言うと、本人にとっては心の奥底にある自分だけのものを出しているつもりなんんだろうな、っていう私小説系の作品だとしても、応募作のなかにはよく似たものがごろごろしてたりする。その一方で、ジャンルのお約束を頑なに守って、優等生的にまとめてきたものもあって、大体、そのどちらかに偏っちゃうんで、それは惜しいなって思う。だから、そのふたつのありがちな山の間を、ダーっと走り抜けるような作品が出てくると、「おお、素晴らしい!」ということになる。ジャンルのお約束を守ろうとしても、どうしても自分の個性がにじみ出してしまう、ということもあるわけで、人は自分が思ってるほど、個性的でも凡庸でもないんですよね。そこを信じて進んで欲しいと思います。
佐藤:こんなの好きなのは自分だけだと思っていたモノでも、もしかしたら何万人もの人に同意を得られていくかもしれないし、それがまた新しいジャンルを生んだりすることもあるかも知れない。とにかく、書いて終わらせて、誰かに読んでもらって欲しいですね。そこまでいって、ようやく第一歩ですから。実は僕は、完璧に自分の思い通りに書けたと思えたことは、今までに一度もないんです。でも、だからこそ人に読んでもらって評価してもらいたいと思うし、確かめたい。それによって、次に行けるパワーが生まれるから。だから、文句でも批判でも歓迎なんです。自分の大切な作品を人に評価されるのって本当に怖いことだけど、とびきり上等な文句を言われて、さらに次に繋げていけたら良いですよね。

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1959年生まれ。アニメーション監督。大友克洋監督「AKIRA」の作画監督を経て、監督となる。ケンイシイのPV「EXTRA」で描いた独自のサイバーSFが国内外のアーティストから注目を集め、GLAYや宇多田ヒカルのPVまでを手がける。03年には「アニマトリックス」の「Beyond」がハリウッドで絶賛されるなど、世界がその才能に注視する映像作家。そのほかの代表作に「彼女の想い出」「音響生命体ノイズマン」「永久家族」などがある。

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1964年東京生まれ。フリー編集者、評論家。情報誌やデジタルカルチャー誌の編集者を経て、純文学からエンタテインメントにいたる現代文学、インターネット文化などの同時代の表現を幅広く論じる文筆活動に入る。著書『ポスト・ムラカミの日本文学』、『極西文学論 Westway to the World』、『〈ことば〉の仕事』ほか。
2006年09月17日 trackback (0) ▼


編集A:実は今回、ライトノベル大賞の選考方法を考えたとき、「外部選考委員なし」という選択肢もありました。そんな中で、どうして外の方に選考をお願いすることに決めたかというと、それは編集者の視点というのは、どうしても落としどころを考えながら読んでしまう傾向があるからなんですよ。ここを直せば売り物になるなとか、作品と商品として判断してしまいがちになる。もちろん、本にしてみんなに読ませたいと思える原稿を求めているわけですから、そういう視点もハズせませんが。でも、それだけでは新しい可能性を見逃してしまうかもしれないんです。大賞は文庫創刊前にみなさんと繋がりが持てるチャンス。それを最大限に生かすためには、僕らとは違う視点で見てくださる方が必要なんですよ。選考委員さんには、編集者とは違う方向から見て「こいつ、なんか面白いな」というのをキャッチしていただけたらと思っています。
佐藤:アンテナの角度は広い方がいいですもんね。で、「あとはオレたちがなんとかするぜ!」ってことなんですかね。
編集A:そうです。それに最終選考へいく前に編集者も読みますし、今回は森本さんも仲俣さんも、全作品読むと言ってくださってますし。いろいろな角度から選考していきたいと思う。
仲俣:宝探しのオモシロさがなかったら、選考委員をやっても面白くないですよね。最終選考に残った数本を読むだけでは、その面白さはない。応募作を自分の手で封筒から出して、読んでみたらとんでもない作品だった、みたいな展開を、やっぱり期待したいじゃないですか。
佐藤:この世界で最初の読者になりますもんね、友だちとかを除いたら。確かに、うちの会社に送られてくるデモテープなんかを見ていても、宛名の書き方とか封筒の閉じ方ひとつに送った人のキャラが滲みでてる。作品そのものに加えて、そういう部分の印象もけっこう残ってたりするんですよね。人との出会いを求めているガガガ文庫には、ここをチェックするのは必要な行程かも知れない。
仲俣:おそらく下読みをお願いする方たちは手分けして読むことになるでしょうけど、僕らは応募作全部に目を通すわけですからね。でも、さすがに多くの作品に接していくとなると、タイトルの段階で強くアピールする作品にやっぱり目が行きます。ぱっと見て、ぐっと心を掴まれるようなタイトルってありますから。僕はイラストには萌えないけど、タイトル萌えというのはありますよ(笑)。実際に本にするときに変更されることも多いと思うけど、タイトルによって作品の印象が違ってくるのは確かなので、書く側にもそこには、一種のプロデュース能力が必要となってくる。同様に、ペンネームにも、気を遣ってほしいです。
佐藤:イラスト買いもありますが、タイトル買い、ペンネーム買いも確かにありますもんね。日日日(あきら)さんのペンネームも、字面のヴィジュアルだけでも、すごくインパクトありましたよね。
佐藤:ここまでいろいろと言ってますけど、あくまでもヒントというか、こんな例もありますよということを言ってるわけですよね。よく誤解されるんですけど、この通りにしろとか、これが正しいとか、言ってるわけでもなんでもない。やり方や考え方なんて人それぞれだもの。でも、人の言葉を極端に捉えて必要以上に安心したり、怒ったりする人が最近多いですよね。ってこれは、このトークを読んでる人、聞いてる人のことを言ってるんじゃなくって、もっと広く日本全体を見たときにそう思うんですけど。
編集C:発言された言葉なんてのはすべて途中経過ですからね。
佐藤:確かにそうだけど、そう言っちゃうと身も蓋もないな(笑)。
編集A:ただ、大賞のことに関して言えば、読む側は何百本何千本のうちの1つとして見ますけど、送る側にしてみれば世界でひとつの大切な作品となるので、余計なことも含めていろいろ考えてしまう必死さはわかりますよ。当たり前のことですが、ひとつひとつを大切に受け取らないとなりませんよね。
編集C:提示された何かに対して「自分は違うと思う考えだ」と思うことは、良いことだと思いますよ。いろいろな考えがあるし、既存の考えなんてどんどん超えてくれた方がいいんだし。でも、できればそれは作品で表現してほしいとは思う。
佐藤:僕みたいなのがとやかく言ったりしていると、まあ、目障りなのもわかるんですよ。そうやって風当たりが強くなるのも覚悟の上でやってますし。でも、それでも、何か新しいことができるんじゃないかと期待して、試行錯誤を重ねているわけです。でなかったら、こんな面倒な立場になんて誰も立ちたがらないよ。だから、そういう姿勢自体に関しては、どうか信用していただきたい、と思う。
編集B:でないと、ガガガトークを連載したり、ムックを出してみたり、創刊前の何もない状態から動いたりしてること自体も、何のためにやってんだってことになってしまいますからね。
佐藤:逆に言えば、その部分を信用できないと思うのだったら、僕らのところにコミットしてくる必要はないんじゃないか——なんて、僕が言ってしまうのは、言い過ぎかもしれないんですけど——でも、たぶんね、そういう根っこの部分で重ならないんだとしたら、良い悪いじゃなくて単純に「合わない」と思うんですよ。ここまでの話にも出たとおり、僕らはまず人として付き合いたいと思っているのだし。
佐藤:葛藤とかダブルスタンダードな意見も含めて、すごくストレートなガガガ編集部からの現状報告という感じになりましたね。どんな形であれ、ここへ関わるってことにオモシロさを感じてもらえれば幸いです。思うところがあった方は、まずはライトノベル大賞に応募することでアクションを起こしていただければと思います。
仲俣:僕らは、応募された作品を「審査してやろう」と思ってるわけじゃなくて、ただ読みたいんですよ、おもしろい小説を。今回、選考委員をお引き受けした理由も、いままでにない良い作品をいち早く読みたい、見つけたいという思いだけです。だから、選考にあたっては、他の選考委員や編集部員が良いと言わなくても、自分にとって何かひっかかるものがあれば積極的に押したいです。
森本:僕も、自分だってみんなと同じように唸りながら作品を作ってる立場なわけだから、ほんとは選考委員なんてやってる場合じゃないんですよね。外からもいろいろ言われたりすることもありますし。
佐藤:みんな、ちょっとずつグチが入りますね(笑)。
森本:でも、そうやって出会う作品の中に、自分にとって特別なもの、化学反応を起こしてくれそうなものがあるんじゃないかって期待しちゃうから、若い人の作品にはどうしても触れたくなってしまう。何と言われようと、そういうものと出会いたいと願っている自分がここにいるんですよ。新しい文法とか、視点とか、そういう発見がある作品を見つけられたらなあ、と思っています。
佐藤:編集部のみなさんはどうですか?
編集A:えーと。まず、応募作にはあらすじをつけていただいているのですが、このあらすじが曲者で、あらすじを最後まで書いていない方がけっこういらっしゃいます。
佐藤:そういうインフォメーションかよ(笑)。プロットの終わりが「果たしてどうなるのか——!?」ではダメですよということですよね。
編集A:そうです。あらすじは、最後まで書きましょう。本の裏に載っている「あらすじ」とは別のものです。ちゃんとネタをバラして書いてくださいね。
編集B:ホームルームみたいだなあ。
編集D:とりあえず、変にちっちゃくならないで書いてほしいですね。選考委員にこう読まれたいとか、そういうことはあまり考えないで書いてもらいたいです。どうせならば、その先の読者へ向かって書いてもらえたら、いいんじゃないかと思います。そういう作品をお待ちしています!
編集C:僕は、女の子のうなじがキレイだとか、ワイシャツの胸の感じが良いとか、そういう自分の萌えの部分をさらけ出してほしい。そういうのって、人に言うのは恥ずかしいことだけど… でも、作品ではみんな“全裸モになるべきだと思うんです。そうです、“全裸小説モこそが、人を感動させる力を持ってるんですよ! ──もちろん秘密は厳守します。
佐藤:文庫にしようとしてる人が何言ってんだ(笑)!
編集A:このように、編集部にはとっても変わった人もいますけど、まともな人間ももちろんいますので、どうか心配しないで送ってきてほしいです。本当にいろいろなタイプの人間が選考に関わっているので、少なくともその誰かひとりには伝わるだろうと信じて、送っていただけたら良いと思います。ブギーポップやハルヒも新人賞から出てきた作品ですが、それまでにあったライトノベルの地図を鮮やかに塗り替えましたよね。ひとつの作品がそれだけの力を持ち得るのがライトノベルです。そのくらいの高い志を持って、臨んでいただければ本望です。
編集B:選考委員の方々や、ずっと一緒にやってきてくれている大さん、それからガガガトークに参加してくださったゲストのみなさん、それぞれの繋がりを含めて、ガガガ文庫編集部の魅力だと思っていただければ嬉しいです。前例のないようなものでも受け止めていく懐の深さはあると自負しているし、そこは安心して飛び飛んでもらえたらと思う。作品を書いて応募するっていうことが、この祭に参加するチケットのひとつなんですよ。仮に今回は賞を取れなくても、これから一緒に作品仕込んでみない?という話には十分なり得ます。今後も付き合っていくためにも、全力投球の作品をお待ちしています!

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1959年生まれ。アニメーション監督。大友克洋監督「AKIRA」の作画監督を経て、監督となる。ケンイシイのPV「EXTRA」で描いた独自のサイバーSFが国内外のアーティストから注目を集め、GLAYや宇多田ヒカルのPVまでを手がける。03年には「アニマトリックス」の「Beyond」がハリウッドで絶賛されるなど、世界がその才能に注視する映像作家。そのほかの代表作に「彼女の想い出」「音響生命体ノイズマン」「永久家族」などがある。

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1964年東京生まれ。フリー編集者、評論家。情報誌やデジタルカルチャー誌の編集者を経て、純文学からエンタテインメントにいたる現代文学、インターネット文化などの同時代の表現を幅広く論じる文筆活動に入る。著書『ポスト・ムラカミの日本文学』、『極西文学論 Westway to the World』、『〈ことば〉の仕事』ほか。
そんなわけで、普段とはまったく違うガガガトークとなりました。ガガガ編集部やその他このプロジェクトに関わっている人たちは、いろいろなキャラクターの人が揃っています。編集部の中の人の声や、選考委員が選考委員になりたいと思った理由など、いろいろわかったこともあったと思いますが、僕がいちばん伝えたかったことと言えば、「なんか楽しそうじゃね?」ってことだったりします。もちろん、真剣だからこその楽しさです。今回のトークで、少しでもそれを感じてもらえたなら、嬉しいなと思いました。
2006年09月22日 trackback (0) ▼

