東浩紀×イシイジロウ×佐藤大写真(東浩紀×イシイジロウ×佐藤大)意見の“相互調整システム”に抗え!!!

佐藤:前回はアニメとライトノベルの関係をベースに話を進めましたが、今回はもうひとつの潮流、美少女ゲームやテキスト・アドベンチャーゲームからはじまったライトノベルについての話ができればと思ってます。というわけで、評論家としてライトノベルの外側から内側を見ている東浩紀さん、テキスト・アドベンチャーゲームを制作されているイシイさん、よろしくお願いいたします。

東:よろしくお願いします!

イシイ:チュンソフトのイシイジロウと申します。よろしくお願いします。

佐藤:まず、お二方のライトノベルの原体験ってどこにありますか? 僕は『クラッシャージョウ』や『ガンダム』とかのソノラマ文庫から、夢枕漠さんや平井和正さんみたいな伝奇モノをたどっていきましたが。

イシイ:僕はそのちょっと前。『宇宙戦艦ヤマト』の『さらばヤマト』のノベライズから『ガンダム』に入って、SFに行きましたね。ライトノベルで言うと『ヴァンパイアハンター』とか平井和正… あのあたりですね。そのあとに新井素子を通っていった。

東:僕も新井素子のファンです! で、いちばん最初に読んだのは平井和正ですね。

佐藤:新井素子は吾妻ひでおのイラスト込みで好きでした?

東:いや、吾妻ひでおのイラスト、というより、単純にSFとして好きだった。石神井公園にUFOが落ちてくる話の『いつか猫になる日まで』が最初に読んだ作品でしたね。もともと僕はSF好きで、SF関連の文庫本は手当たり次第に読んでいたので、その流れの中で出会ったんじゃないかな?

佐藤:なるほど。前回の鼎談では、ブログっていう手軽なツールがあるによって、みんな小説を書かなくなっていってるんじゃないか、という話がでてきました。ブログを書くという行為は「消費」なのに、それを「クリエイティブ」だと勘違いしているから、それういう現象が起こるのではないか、と。ネットで文章を書く、デジタル化した文章を読む。メールや携帯電話、最近はモバイルマシンもそうですね。そこで文字読むことに慣れている人間に対して、紙媒体である文庫をアピールしていくことが、ライトノベルをつくる上での命題だと僕は思うんですが… そのあたりってどう思われますか?

東:いや、ブログはあまり気にしなくていいんじゃないかな? ネットで感想をいっぱい書く連中は、たとえブログがなかったとしても、どこかで衝動を発散すると思うし、それで満足する人もしない人もいる。それはデジタルとは関係ないと思います。
ただ、僕が問題視しているのは、プチ書評みたいなのがネットに出回る速度が速いので、評価が固まるのも速いこと。たとえば、さっき言った新井素子は、僕は当時、ほんとに偶然に本屋の棚で発見しているのね。新井素子の世間的な価値がどういうものかは知らなかったけど、とりあえず自分的には気に入ったから、それを大切に読むわけ。そうやってずっと面白いと思いながら読んじゃったものって、あとあと「あんなのダメだよ」ってもし言われたとしても、頑張るんですよね。でも、今ってそういう経験がなかなかできないでしょう。「とりあえず読んだ。ふーん、おもしろいな。でも検索してみたらみんな悪口言ってる。やべー。オレ地雷踏んじゃったよ。もう読まない、終了! 」みたいな感じですよね。

佐藤:僕も、富野由悠季の『ガンダム』の小説を読んだ時に、アムロが死ぬわけですよ──あ、ネタバレだけどもういいよね(笑)。ネットもない時代だし、小学生の自分は、その意見を誰とも共有できなかった。

イシイ:ああ、あれはショックでしたね(笑)。

佐藤:あり得ないですよ! 当時は、そりゃあ怒りましたよ。でも、そのまま大人になったとき、あれもアリなんだなと思えるようになってた。そういう寝かせ方が今はできなくなってきてるってことですよね。

イシイ:たとえば、信頼できる書評家が「こんな小説は一生に一度しか出会えない!」とか書いていたら、気になっちゃうもんですけど、ネットの世界ではそういうフレーズが簡単に書かれている。「こんなもの今まであったのだろうか」で始まって「知らないやつはバカだ」みたいな(笑)。でも、そんな風に書かれるものに限って、何かのパクリだったりすることが多いんですよね。
でも、そうやってブログでレビューを書いてるような層に訴えかけるタイプの小説やゲームは、ある意味巧いんだと思います。ああいう、「これがいいんだよね〜」と言いたい人たちにひっかかるお約束ポイントって決まっているんですよね。で、それをうまく使ってるゲームやライトノベルが、ヒットするという。

意見の相互調整システム/願望と実際の展開がズレた時/一般層にはあまり届いていない

佐藤:最近思うのは、人が物語に共感する力。小説でも映画でもゲームでも「こうなってほしい」という願望と、実際の展開がズレた時に、自分の中で処理することができない受け手が多い気がする。少しズレると「それは鬱展開だからナシ」とか言って切ってしまう。そして、その感想がネットによって伝染していく。これは東さんがさっき言ったことに近いのかなと。

東:そうですね。意見の相互調整のシステムが整っているということですよ。それはネット全体がどうってことではなく、ブログとかソーシャルネットワーキング・サイトのサービスの問題なんで、「デジタル」の問題とは別ですね。この辺は、ここ2、3年で急速に変わりつつある。2000年ぐらいの個人ホームページの時代と今は全然違う。何かについての意見を共有できやすくなってしまったので、作品の評価にしても無意識に一瞬で相互調整してしまう。それはあまりいい状況じゃない。いろんな人にとって不幸なことだと思います。逆に、ベストセラーも出やすいだろうけど。でも、全体的には、面白くないんだよなー、個人的に。

佐藤:びっくりするのは、他人の感想自体をトラックバックしてる人がいるじゃないですか。「ここが僕が考えていることと一番近いぞ」みたいな。何だ、そりゃ!と(笑)。

東:感想の転送、転送ですよね。

佐藤:小説の引用が転送されているんならまだわかるんですよ。打ち込むのが面倒くさいんだなとか。でも感想が転送されると、君の意見はどこにあるのかと言いたくなってしまう。

東:ぶっちゃけて言うと、今、ライトノベルがある程度売れている要因として、アフィリエイトというシステムのせいもありますよね。いっぱい感想が転送されれば、誰か間違えてクリックする人間もいるから、amazonでのランクが上位になっていくというロジックになっちゃってる。

佐藤:うーん。そこを考えちゃうと、暗澹たる気持ちになりますね。

東:ライトノベルは業界内でブームではあるけど、実際のマーケットとして本当に動いているかどうかは、怪しいもんですよ。

佐藤:市場が形骸化してしまっていると。

東:根本には少子化という問題もありますから、ライトノベルのメインターゲットが中高生なのであれば、基本的にマーケットは今から15年前、僕たちが中高生の時に比べて2/3ぐらいに縮小しているってことになる。これはでかい。で、それを補っているのはインターネットにおける意見の相互調整システムなんでしょうね。03年ぐらいからウォッチしてますが、まず、ライトノベル・ブームがあるかないかあたりで、ブログ界で「ライトノベルについて語るブーム」が来てたわけです。現在に至っては、どこどこの書店員、編集者がブログで作品を取り上げて、それを20代ぐらいの学生が盛り上げて… っていうパターンが見えてる。

イシイ:ネットは匿名性が高いせいもあって、誰もが堂々と持論を語りたがりますからね。

東:そう。その語りたいモチベーションっていうのが、要因としてすごく大きいと思うんですよ。だから、ネットで見る限りでは盛り上がってる感はあるんだけど、「地下に潜ってた巨大な水流が遂に出てきた」という印象ではないんですよ。

イシイ:深夜アニメと似たような感じで、以前に比べて本数も多いし目につくんだけど、いわゆる一般層にはあまり届いていないってヤツですね。

裏切りを許容できない/実はそのズレこそが/「こいつら、すごいことやるんじゃないの?」

佐藤:アニメ的なものって、最近になってよく見ますよね。書店に行ってもパッケージがアニメっぽいイメージのものが、新書でも文庫でも雑誌でも増えている。今は、いわゆるアニメ絵的なものに対する嫌悪感っていうのは払拭されている世界かもしれませんね。逆に、目にはつくものの、一般の人はスルーしちゃうかもしれないけど。

東:アニメのマーケットは拡大していると思います。量だけじゃなくて、質も全体的に良くなってる。ただ、95年に放映された『新世紀エヴァンゲリオン』から10年、それに匹敵する作品が現れたかと問われれば、「ない!」というのが誰もの回答でしょう。

イシイ:そういえば、エヴァの以前の状態というのも、「ガンダム以降ダメだよね」という風潮でしたよね。

東:象徴的には、84年あたりで実はひとつアニメのブームが起こっているんですけどね。『風の谷のナウシカ』と『うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー』が84年。

佐藤:宮崎さんが超現役だった時ですね。

東:『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』も84年ですよね。で、『オネアミスの翼』が86年で、87年に『AKIRA』が来た。87年と95年って遠いように見えて意外と近くて、なんだかんだでこのあたりでいろんな事件が起きていた。そういえば、『美少女戦士セーラームーン』も間に盛り上がりましたね(笑)。お子さま向けと言っても、あれはオタクの支持を集めたものだった。

イシイ:95年以降も、宮崎駿は再生産になっていたけれどもヒットを飛ばしてた。『ポケットモンスター』のアニメもヒットした。ただエポックメイキングな、10年20年間引っ張るような、語り継がれる作品はエヴァ以降ないですよね。

東:今は、たくさんの小さい作品が売れるようになってきてるけど、このくらいで「世の中に認められるようになってきました」とか言ってると、キラーコンテンツのないまま、結局萎んでいってしまうのではないですかね。そういう時期なんじゃないかと思います。キラーコンテンツが出てこないとそろそろ維持できない状態になってきてる。今までは「出てくるんじゃないか」という期待感だけでブームが膨れ上がったところがありますから。

佐藤:僕的には、ライトノベルもそうですが、新本格ミステリーもそういう感じに思えますね。なんとなくまた盛り上がってきているようだけれども、本当に一般的にブームにまでなっているのか、っていう疑いがある。

イシイ:『トップをねらえ!』とか『ふしぎの海のナディア』的な作品が、今のライトノベルの中にあるのであれば、そろそろエヴァ的なエポックメイキングな作品は出て来るんじゃないかなあ。エヴァも最初からメジャーだったわけじゃなくて、放映されはじめた時は、ガイナックスがまたやってるな、ぐらいの認識だったじゃないですか。それが知らない間に爆発していた。ああいう流れが今、ライトノベルの伏線にあって、水面下で沸々いっていれば本当にすごいものは来るかもしれない。なんだかすっかりガイナックス話になっちゃいましたが(笑)。

東:ブレイク前のガイナックスみたいに、「こいつら、またすごいことやるんじゃないの?」みたいな人が、どのぐらいライトノベル界にいるのかがポイントですよね。

イシイ:逆に、さっき大さんが言ってたみたいに、裏切ると客に引かれてしまう傾向になっているメディアには、金字塔的ヒットが出てくる気がしないんですよ、僕は。ゲームで言うと、90年代の半ばぐらいにプレイステーションで変なゲームがすごくたくさん出ていて、ギャルゲーでも尖ったものがあった。『NOEL』がわかりやすい例で。

佐藤:ありましたねー。バグだらけでしたけど(笑)。

イシイ:まさに実験期でした(笑)。でも、いつの間にかギャルゲーっていったら、ハーレムゲームというか、ただのモテゲーになってしまって、どんどん淘汰されていった。中には、プロットが凝ってるものとかあるんだけど、基本的にはユーザーを持ち上げてくだけの単なる幸せな世界。突き放すものがない。ライトノベルも、今後、そのような方向に行くのであれば、緩やかに消えていってしまうかも、という危機感はありますね。

佐藤:そうか。ライトノベルの現状は、美少女ゲームの閉塞感とすごく近いのか。ズレることを畏れるユーザーとクリエーターが中心になってしまっている、という。でも、ズレたものこそ、実は次の世界を産んでいたって可能性もありますよね。ガンダムもエヴァも、今から思えばずズレてたんですよ。「なにこれ、気持ち悪い」という人も当時いっぱいいて。今となっては伝説化してしまっているから、1話目から大評判だったように見えてますけど、ほんとはそんなことなかっんだ、ということを忘れちゃいけないのかもしれませんね。

佐藤:さっきの話に戻りますけど、評価が固まるまでに、本当は時間があった。

東:まあ、エヴァなんて、大絶賛されてたことないんじゃないですか? 最終回もバッシングだし。映画もバッシングですよね。一体いつ褒められているのかと(笑)。庵野さんがクサるのもわかりますよね。一回もほめてないじゃん、誰も、みたいな。

佐藤:でも、むしろ、そういう超バッシングこそが、このロングセラーを産んでいるわけですよね。そういう異質なものを受け入れられるか否か、そのあたりが今ライトノベルが、メディアとして問われているところなのかもしれませんね。

東:いずれにせよ、そろそろドカンと一発来てほしいですね! というか、こないと、ヤバい。

以下、次へ続く!6/28更新予定

東浩紀東浩紀
1971年生まれ。哲学者・批評家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会学。1993年にデビュー。1998年に出版した思想書が話題となり、新世代の批評家として注目を浴びる。現在はオタク系サブカルチャーの現場に批評家として関わるかたわら、国際大学グローバル・コミュニケーション・センタ(GLOCOM)で情報社会学の研究を行っている。主な著書に『存在論的、郵便的』『動物化するポストモダン』。

イシイジロウイシイジロウ
1967年1月28日生まれ。兵庫県出身。リクルート、カルチュアコンビニエンスクラブで広告制作・映像制作を学び、日本経済新聞社グループ日経ビデオバンクに入社。96年同社にてなぜかゲーム制作を開始。『Little Lovers』など実験作を制作後、2000年チュンソフト入社。『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』で第9回 CESA GAME AWARDS優秀賞を受賞。現在サウンドノベルシリーズの新作を開発中。



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2006年6月21日  trackback (2)  

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東浩紀×イシイジロウ×佐藤大写真(東浩紀×イシイジロウ×佐藤大)意見の“縮小再生産のマトリョーシカにご用心。

イシイ:ライトノベルのブームって、2004年ぐらいからですよね?

東:「完全読本」的なムックが出はじめたのが2004年ですよね。今回のブームは、それらが先導している形になっている。キラーコンテンツのようなものが最初にあってブームが始まったわけでは、決してないんですよ。

佐藤:あの時期売れてたものっていうのは、もしかしたら今野緒雪の『マリア様が見てる』かもしれないけど、それは今のブームの中核をなすものじゃないもんね。

東:『幻魔大戦』みたいに、何か知らないけど話題になっているらしい…って風にじわじわ来て爆発したブームじゃないんだよね。

佐藤:そういう実態が見えてきちゃうと、今のブームが瓦解する瞬間がそろそろ来るような気がしてきますね。

東:たとえば、谷川流の「涼宮ハルヒ」シリーズ。今、アニメが話題になってることもあって、amazonで10位中に5冊ぐらい入ってるんで、ネットで一番売れている本でしょう。でもこれは末期的とも言える。「涼宮ハルヒ」は、アニメ版は知らないけれど、小説は明らかにメタライトノベルです。この作品が、ライトノベルの新しい世界の扉を開いたっていうよりは、ライトノベルの「メタ」なんだよね。同じく人気作家である西尾維新も、メタライトノベルと言える。批評的に見て面白いけれど、そういう作品がライトノベルのマーケットの中心ってどうなのか。

佐藤:本来ならカウンターであるべきものが、メインになってしまっているってことですよね。それはアニメにも言えるんですよ。『エウレカセブン』とか『BLOOD+』は、カウンターだったはずだし、『ガンダムSEED』もガンダムに対するカウンターだったはずなのに、今やそれがメインのように扱われてしまっている… カウンター的な作品がきちんとカウンターとして成立してないと、シーンは脆弱化しちゃう。

イシイ:カウンターを取られているのに、わからない。メタなのに、それに気づかず真正面から受け止めてしまうユーザーが多すぎるのも原因かもしれない。

東:「涼宮ハルヒ」シリーズは、ライトノベルの約束事自体を対象化してつくった小説。あれをわかるためには、ライトノベルの感覚がわかっていなくてはいけない。それを読んで、そのまんま影響を受けた若い子が登場してくると、まずいことになると思います。

佐藤:マトリョーシカ状態(笑)!?

イシイ:縮小再生産か。

東:となると、3年とか4年後にどういうマーケットになっていってるかは見えてきますよね。そんなことでいいのか!と。今回のライトノベルブームは、正直そういう方向に行きかねない危険性を持ってます。

イシイ:テキストアドベンチャー系のゲームで言うと、まず、『弟切草』とか『かまいたちの夜』がシステムとしての新しさとともに生まれたわけですけど、そのあと、結局、キャラクターやストーリーの“ゆるい”ものが量産されてしまったという流れがあった。それに近いのかな。

佐藤:もう、曲がり角曲がってますよね。これからどういう方向に収束するのかが問題かな。音楽で言うと、90年代後半に「渋谷系」という、とてつもなく大きい、正体のないブームが起きるんですよ。それはバイヤー、しかも渋谷の『HMV』のイチ店員が起こしたものだったんですが。イチ店員のレコメン・レコードが、世界を動かしているかのように見えたんですね。

東:そうなんだ。

佐藤:なぜそう見えたかというと、小西康晴と小沢健二と小山田圭吾という3人のスタープレイヤーがいて、彼らのコーナーをつくって推薦文も書いてもらってたりしたの。で、その作品たちがバカ売れして、徐々に「渋谷系」というブームをつくっていったのね。今回のライトノベル・ブームは、それにすごく近いように思うんです。実体がないのと、とんでもないものを見つけてきて「これイイよ!」って盛り上がる部分は同じなんだけど、そのあとを担っていく人が続かない。続いているかもしれないけど、なかなか見えてこないのが不思議なんですよね。

東:流れはあると思うんですけど。んー、どうなんだろう。硬質の物語をベタに普通に書いてくるスタープレーヤーが現れれば問題はすべて解決されると思う。それしかないでしょうね。

90年代の渋谷系/“齟齬感”が必要/他ジャンルと勝負

佐藤:今、どういうものを作家に求めていますか?

東:はっきりしているのは、「これライトノベルって言っていいのかな?」というようなものがライトノベルという分野に入ろうとした時に、何らかの化学反応が起きるのであって、「ライトノベルの規則を忠実に守って再現しました」というものばかり出てきても、何の意味もないということ。たとえば、新本格ミステリーの成功っていうのは、そういうところにあったわけです。綾辻行人の本質は、ミステリーのものじゃなかったのかもしれない。でもそれが、ミステリーの枠に入ったときに生じる妙な違和感、その余剰分が小説の魅力を出したり、ジャンルそのものを活性化させて、パワーを与えていくわけですよ。

佐藤:行間の魅力ですね。

東:それは京極夏彦もそうで、京極さんのって、普通に見てもミステリーでもなんでもないでしょう。『姑獲鳥の夏』読んだ時にびっくりしましたよ。これって、ミステリーなのかと! なんでもありだな、この世界、みたいな。

イシイ・佐藤:(爆笑)。

佐藤:いや、そう思う。そう思いますよ、ほんとに(笑)! 『ル=ガルー 忌避すべき狼』まで行くと、完全にライトノベルですし。

東:それはつまり、レーベルとの関係で、何かのカタチを取らなくてはいけないということなんですよね。レーベルの“カタチ”と、そこに作家がブチ込むものとの “齟齬感”が必要なんです。ところが、ライトノベルには初めからこうだという定義はない。「ライトノベルは何でもアリです、みなさんのお好きなものをどうぞ」という自由度を与えたところで、出てくるのはどこかのライトノベルの真似になるに決まってる。大変危ういわけです。

イシイ:まあ、アニメ業界もライトノベルも僕らゲーム業界も、同じ問題を抱えているんですけどね。僕らの業界は、ゲームだけを見て育って業界に入る人がほとんどだし。アニメが80年代〜90年代にエネルギーがあったのは何故かというと、たとえば富野由悠季さんたちみたいに、映画の世界からあぶれて入ってきた人が、映画と勝負しようとしてやってきたということもあると思うんです。
ゲームは、映画と勝負するような気概を、もう一度取り戻さないといけないし、ライトノベル作家を目指す人にも、クローズドな世界で縮小再生産するより、他ジャンルと勝負するような気概がほしいです。

東:たとえば『ひぐらしのなく頃に』は傑作だと思いますけど、あれも本当はメタ美少女ゲームなんですよね。だから、あのゲームやって、同じものつくったとしたら、それはもうアウトなわけです、完璧に。美少女ゲームの低迷——と僕には見えるけど——の原因は、そういう再生産にあるんでしょうね。

イシイ:希望よりも閉塞感を感じちゃいますよね。

東:最近のライトノベルの雰囲気を見ててもそう。最近、あるレーベルで面白い作家が出てきて、そこの編集者に「これは注目すべきだ!」と勧められて読んだんだけれども、確かに面白い。でも妙に上遠野浩平に似ているんですね。それで、それを編集者に言ったら「いやいや、この人は上遠野浩平を読んでないんです。だからすごいんですよ!」って。いや、でも、そっくりじゃん、と(笑)。そんな裏情報があっても、そっくりなことには変わりない。

イシイ:それは、帯に書いておかないといけませんね(笑)。

佐藤:「上遠野浩平読んでません!」(笑)

東:これは深刻ですよ。上遠野浩平を読んでいなくても、そっくりな作品が出てきてしまう。それぐらい、可能性が汲みつくされているわけです。上遠野の影響だったらまだいい。でも、そうじゃなくて、今のマーケットに対して面白いものを書こうとがんばってバランスをとると、無意識に上遠野みたいなものが出てきちゃう。もはや、方程式になっている!

イシイ:「方程式を解くの?」みたいな(笑)。

東:ちなみにこの人の小説は面白いんです。それはいいんですが。

佐藤:そして、編集者をも釣ってしまうのか。

東:でも、そうじゃなくって単純に、新しい、まだ見たことのない世界を見たいんですよ!

以下、次へ続く!7/9更新予定

東浩紀東浩紀
1971年生まれ。哲学者・批評家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会学。1993年にデビュー。1998年に出版した思想書が話題となり、新世代の批評家として注目を浴びる。現在はオタク系サブカルチャーの現場に批評家として関わるかたわら、国際大学グローバル・コミュニケーション・センタ(GLOCOM)で情報社会学の研究を行っている。主な著書に『存在論的、郵便的』『動物化するポストモダン』。

イシイジロウイシイジロウ
1967年1月28日生まれ。兵庫県出身。リクルート、カルチュアコンビニエンスクラブで広告制作・映像制作を学び、日本経済新聞社グループ日経ビデオバンクに入社。96年同社にてなぜかゲーム制作を開始。『Little Lovers』など実験作を制作後、2000年チュンソフト入社。『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』で第9回 CESA GAME AWARDS優秀賞を受賞。現在サウンドノベルシリーズの新作を開発中。



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2006年6月28日  trackback (1)  

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東浩紀×イシイジロウ×佐藤大写真(東浩紀×イシイジロウ×佐藤大)ヴィジョン亡き時代にこそ有効な作法とは??

佐藤:宮藤官九郎が、あるインタビューで言ってたんですけど、あるとき全9回のドラマのストーリーを考えなくてはいけなかったときに、草野球ものを思いついたと。全9回だったら、そりゃ野球しかないだろうと(笑)。

東:うまい(笑)。

佐藤:彼は、全9回という縛りの中、1話で1回分、40分枠なので表裏20分20分、というルールを自分でつくってた。そうやって、ルールを自分でつくっていかないと良いものにならない気がするし、逆に、そのルールに絡め取られそうになって抵抗するときに、さらに良いヒラメキが生まれる可能性があるんじゃないかと思う。

イシイ:むしろ、それを意識してできる人じゃないと、一流になれないのかもしれないですね。

東:ワープロが普及する前は、小説を書くには原稿用紙に手書きという作業だった。でも、原稿用紙100枚書くのは肉体的に厳しいんですよ(笑)。中高生が学校や部活の合間にやるにはかなりキツい。

佐藤:あれはキツイですよね(笑)。

東:でもコンピューターだと問題ないですよね。ブログ10日分書いたら、原稿用紙100枚って感じでしょう。逆に言えば、そういう点で、最近はゲームも小説も誰でもつくれる感じがしてるんだと思う。けれど、実際には、自分で自分の外側にルールをつくって、それを乗り越えるようなプロセスがないと、良いものは生まれない。

佐藤:たとえば、賞を獲ってデビューできたとしても、2作目以降は編集サイドのオーダーにも応えていかなくちゃいけない。さらに、クライアントの意向とか、いろんなハードルが出てきますよね。それは、ミュージシャンも映画監督もみんなそう。そのときに、自分内ルールがなかった人は、他人のルールに絡め取られてしまって、2作目がうまいことつくれないというケースが増えている気がしますね。でも、自分のルールが1作目にあれば、2作目で他人に何をリクエストされても、ルールに沿って進めることができる。ルールに合わないものは外すけど、合うものは取り入れて、増幅させるみたいなやり方が、プロとしての次のステップなんじゃないかと思います。

東:自分の外側にルールを作る、というのは、テーマといってもいい。

佐藤:自分の世界って、自分でつくれると思うんですよ。たとえば、さっきのクドカンで言ったら、野球じゃなくて落語だったらどうなのかっていうのも『タイガー&ドラゴン』でやってますよね。あと、ライトノベルで言ったら、『涼宮ハルヒ』を読んだときにも、作家の谷川さんの作ったルールを感じましたね。1巻を読んだときに「うわ、これキツいルールつくったわ!」と思った。主人公であるキョンがハルヒを好きで、ハルヒもキョンのことを好き。そして、キョンの一人称で物語が進むにも関わらず、相思相愛がほのめかされていく、ということを1話目でやってしまっている。このルールはキツいでしょ! でも2巻目でも成功している。ヤルな、と思った。

ブームだろうがそうでなかろうが/お題があると燃えるよね/「ルールを利用する」

イシイ:小説でもゲームでも、巧いなと思う人たちには、TRPG(テーブルトークRPG)を通ってきた人が多いと思うんです。今はキャラクターものが流行っている。たとえば、綾波レイ的な娘をあるパターンにハメてみよう、みたいに、キャラクターの設定からストーリーを転がそうとするわけです。
でも、TRPGをつくった人間というのはルールで勝負しなくてはいけないんですよ。ゲームではユーザーたちがいろんなこと言うわけですよね。それに対応するものをつくるから、ルールが厳しいんですね。どうとでも対応できるし、どう転んでも面白くなるようなルールをつくっておかなくてはいけない。それがつくれる人間は、キャラが立ったものでもワンパターンに走らないものをつくれるはずだと思ってます。今度、うちの社内でTRPG研究会を、昔やってた人間を引っぱり出してやろうかなと思ってるんですよ。

佐藤:おお! さすがです(笑)。

イシイ:最近は、映画のDVDを見ながら、1分単位でシナリオ分析をするみたいな作業をするんですが、そこからわかることは、シナリオにはパターンがあるということ。そこから一歩進んで、パターンを壊したい、新しいものをつくりたい、となったときが難しい。もしかしたらライトノベルのストーリーテリングというところでも、そこにヒントがあるのではないかと思うんです。

佐藤:なにか商品をクリエイトするってことは、パターンをつくって壊すことの繰り返しなのかもしれないですね。

イシイ:その点、TRPGは壊すことが前提ですからね。壊すヤツらが1:5ぐらいでいるわけですから。『うる星やつら』ともそうかもしれないですけど、案外、寡占した状況、この中でなんとかしなさいというお題があると燃えるのかも。

佐藤:落語でも「三題噺」というお題があるわけじゃないですか。その縛りで話をつくらなくてはいけないというルールは、物語をつくるルールとしていいものですよね。人を楽しませるという意味でも。そういう話芸的な訓練ができていると、実はライトノベルって面白いと思うんですよ。一人称が多いですし。
谷川さんで面白いと思ったのが、自虐っぽさもありながらも自己顕示欲の強い若者をうまいこと書いているなと。そこが、平井さんの初期に近いなと思ったんです。アダルトウッドガイ、自虐も入れながら自己顕示欲の強い一人称の文体を使っていた。売れる理由はすごくわかりますね。

イシイ:そういうライトノベル系の一人称文体と、ギャルゲー系の文体って、似てますよね。

佐藤:似てる似てる!

イシイ:でも、そういうの全般を断固として受けつけない人がいますよね。以前、ダメだといった人に、じゃあこれはどうだ、とハードボイルドの小説を読ませたんですけど、やっぱりダメで。ハードボイルドと似てますよね。理屈とか知識とか披露しながら、結局、自分のことばっかり話しているし。

佐藤:大藪晴彦とかね(笑)。

イシイ:それが、いける人とダメな人がいるわけですけど、もしかしたらハードボイルドからの流れが、キャラゲーの中にも受け継がれているのかもしれませんね。

佐藤:そうですね。『ブラックマスク』シリーズとか、当時のあの周辺の作品は、表紙にイラストがついててペーパーバックだったりするし。ヘタするとライトノベルの原点に近いのかもしれない。セックスアピールもバイオレンスもあれば、殺人ものや探偵ものがある。ジャンル分けがすごくしやすい。新本格推理もその流れにあるのかもしれないですよね。構造だけは盗むけど、その中に住んでる人たちのルールは入れ替わって、現代劇だったりする、と。やっぱり、あえて「ルールを利用する」という物語の構築方法も、すごくアリなんですよ。

等身大の青春に逃げ込んでしまう/本当に売れたものとか届いたものって/、突っ込む余地がないのかも

東:でもね、いちばんの問題は、ライトノベルがどうとかいうことではなく、ズバリ、おもしろい物語ができるかどうかです。

佐藤:もちろん、そうです!

東:ライトノベルがブームだろうが、そうでなかろうが関係ない。問題は、いま物語をなにを根拠に作るかです。たとえば90年代にはSFが低調だと言われてた。これをめぐって論争があったけれども、多くの人がそう思ったのは事実でしょう。その理由ははっきりしていて、要は社会全体に未来のイメージやビジョンがなくなったからです。サイバーパンク以降、それは変わっていない。宇宙にも行かないだろうし、神経接続もいいかげん飽きたな、みたいな感じ。SFには書くことがなくなった——というより、SFに対して社会的な期待がなくなってしまった。

イシイ:『マトリックス』で、ちょっと変化しましたよね。ネットがそこに入ればこうかなという感じで。

東: いずれにせよ、90年代後半にミステリーが盛んになった理由はここにあると思います。ミステリーにはルールがある。ビジョンがなくても、規則(コード)をいじることで物語を書くことができる。これはひとつの強みです。そしてそれは、今回のライトノベルブームの起源のひとつになっている。ところが、清涼院流水から「ファウスト」に至る流れで何が起きたかというと…

佐藤:ルールも壊していいと。

東:脱格だかなんだか、とにかくなんでもアリになった。で、とうとう「等身大の青春」ということになっちゃった。

佐藤・イシイ:(大爆笑)。

東:けれど、これは新人にはむしろキツいわけです。

佐藤:ちょっと純文学っぽくなってきてる、みたいな。

東:ある新人賞の下読みをやってる友人がいるんですけど、頭抱えちゃうくらい、みんな同じ話ばかりを送ってくるようです。死んだり生きたり、トラウマがあったり傷つけ合ったり。「等身大の青春」だけでは、実は平凡な物語しかでてこない。あたりまえですね。

イシイ:一方、レビュー系ブログでも、それをすんなり受け入れて平和に書評が書かれていると…。

東:等身大の僕を描いて、等身大の人々に支持される。それは確かに可能でしょう。昔だったら「小説書きました。でも、誰が読んでるんだ?」みたいな状況があったと思うけど、今はネットで検索すれば読者は見つかる。この点で、10年、20年前とは、状況はまったく違っていると思います。それがうまい具合に働けばいいんでしょうけど、大抵の場合は、それによって、作者自身が自分の方向性を調整しちゃう結果になっている。みんなの期待に応えようとしてみたり、逆に反発しようとしてみたり。無意識にだとしても、どこか作用してしまう。

イシイ:昔はこんなにダイレクトにこなかったですからね、バッシングも(笑)。

佐藤:『ケイゾク』を撮影していた頃、堤監督と話したことがあるんですけど、4話まで、ネットでのバッシングがすごかったらしいんですよ。トリックがひどいと(笑)。で、5話目から「人間の業とトラウマ」ってことで行こうと方向性を変えたらしいんです。そうしたら、ブームになっていった。それはネット黎明期に、ネットがイイ感じに作用した例だと思いますね。今はそういうふうに作用してる例は見受けられないですよね。

東:最近は、「ウェブ2.0」とか言われているように、ネットのシステムも大きく変わってますしね。「あるひとつのブログについて語っているブログ」みたいに、連鎖をたどるのがすごく簡単になっている。

イシイ:うちの会社のゲームで面白い傾向だなと思っているのは、すごく売れたものほどネットでの反応は静かだったりすることなんです。不思議なんですけれど、小ヒットぐらいの作品の方がすごく反応がでかい。たとえば『ポケモン』みたいなものって、他の10倍売れててもネットで10倍は騒がれないでしょう。

佐藤:…おお、確かにそうですね!

イシイ:本当に売れたものとか、本当に届くものって、実はネットではあまり騒がれないんですよねー。

佐藤:浦沢直樹って騒がれなさそうですよね(笑)。あと『スラムダンク』とか『バガボンド』とか。完成度の高い作品には突っ込む余地がないっていうことなのかな。

東:完成度とは関係ないと思いますが……。ともかく、そこに今回のブームの落とし穴があることは確かでしょう。

佐藤:本当に売れてるものとの間に、すごい溝があるってことですね。

東:新城カズマさんが言っているように、ライトノベルは、ジャンルとして定義できないジャンルです。アニメっぽい絵がつけば、SFでもミステリでもライトノベルになりうる。いわば「ゼロジャンル」です。だからこそ、危うい状況がある。ライトノベル特有のルールがないのであれば、個々の作品に別の根拠を作るしかない。

佐藤:そして、潮流に流されるんじゃなく、確固たる個人のルールをつくる。これが現状打破のキーかもしれませんね。

以下、次へ続く!!!! 7/12更新予定!!!!

東浩紀東浩紀
1971年生まれ。哲学者・批評家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会学。1993年にデビュー。1998年に出版した思想書が話題となり、新世代の批評家として注目を浴びる。現在はオタク系サブカルチャーの現場に批評家として関わるかたわら、国際大学グローバル・コミュニケーション・センタ(GLOCOM)で情報社会学の研究を行っている。主な著書に『存在論的、郵便的』『動物化するポストモダン』。

イシイジロウイシイジロウ
1967年1月28日生まれ。兵庫県出身。リクルート、カルチュアコンビニエンスクラブで広告制作・映像制作を学び、日本経済新聞社グループ日経ビデオバンクに入社。96年同社にてなぜかゲーム制作を開始。『Little Lovers』など実験作を制作後、2000年チュンソフト入社。『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』で第9回 CESA GAME AWARDS優秀賞を受賞。現在サウンドノベルシリーズの新作を開発中。



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2006年7月 5日  trackback (0)  

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東浩紀×イシイジロウ×佐藤大写真(東浩紀×イシイジロウ×佐藤大)物語の外にある、キミだけのテーマこそ光だ!!!!

佐藤:今までの話を聞いていくと、これから賞に応募しようとしている読者にとっては「じゃあ、いったい何を書けばいいんだよ」ってことになっちゃうと思うんですよ。なので、ぶっちゃけ、どんなものを読みたいのか。それを、評論家である東さん、ゲームクリエーターであるイシイさんにお聞きしたい。

東:たとえば、方程式が見えてくるような“巧い”作品ってありますよね。伏線もバッチリだし、社会問題も練りこんであって、気が利いてたりする。今のライトノベルの水準は高くなっているので、そういう作品は増えています。ライトノベルという新しいジャンル全体のレベルの底上げがされてよかったとも思う。でも、読んで驚くのはそういうものじゃない。なんでそうなったのかわからない、インパクトやパワーのあるものが、僕は読みたい。

佐藤:“巧い”作品は、方程式を解いている様子が見えてきちゃいますよね。読んでいてアツくはなれない。

東:それはイラストにも言えると思います。30年、40年前に比べると、日本人のイラストの進化はめざましい。ネットで描いてる中学生でも「なんでこんな塗りができるの?」っていう“巧い”人はいっぱいいますよ。底上げされたけど、でも、じゃあキャラデザインとか、絵としての魅力で、インパクトを与えてくるような人がどんどん出ているかというと、それは違う。そういう意味ではライトノベルもイラストの進化と似たところがある。今のライトノベル界の“巧い”作家を見て学んで、さらに“巧い”作家がいっぱい出ているけど、そういう“巧い”よりも「なんでこの話がこういう展開になるのよ?」「コイツの書くものはほんとにわからん」みたいな迫力がほしい。

イシイ:僕はライトノベルというジャンルを壊すようなものが読みたいなと思いますね。そういうものが出てきてほしい。たとえば『エウレカセブン』は、アニメを観た人がつくってるものとは違う引き出しが山ほどある。

佐藤:むしろ引き出しの方が多かったりします(笑)。

イシイ:あれは引用なんだけど、違うジャンルからの引用だからオリジナルになるし、見たことないものになる。そういう、異物と混ざった作品が読みたいですね。ライトノベルの賞に応募する人は、当然「ライトノベル」というジャンルが好きなんでしょう。でも、もう一歩進んで、ライトノベルは好きだけど「まだまだ、こんなもんじゃないぜ」「これが俺のライトノベルだ!」みたいな気持ちで書かれたものの方が、マンネリを感じている読者の琴線にひっかかるんじゃないかと思います。
ライトノベルもその傾向があるかもしれないけど、ゲームも、ビッグタイトルの続編が売れるという現状があって厳しい。でも、そんな中で新しいことをやるっていう挑戦は続けてますね。インディーズの同人ゲームって、昔はテトリスとか小さいものをつくる感じだったのが、今ってサウンドノベルがどんどん出てきてますよね。ああいう可能性というものに対して、負けないようにメーカーも冒険していかなくては、とも思うし。

佐藤:「ズレ」とか「枠におさまらない」みたいなことですよね。こういう話は抽象的だし、よく耳にするし「ンなことはわかってるよ!」って話ではあるんですけど、でも、いつのまにかみんな忘れてしまうんですよね。僕も脚本家だからよくわかるんですけど、やっぱりどこか“安心”の方に流れがちなんですよ。たとえば絵コンテマンや演出の人に伝えるときに、わかりやすい、伝えやすい書き方をしちゃう時が多かったりするんです。だけど、そこでは化学反応が起きない。予想通りだね、というコンテになってしまう。それは、制作の効率を考えるとすごくいいことなんだけど、でも、見たことがあるものしかできない。そのへんはすごく考えてしまいますね。

イシイ:サウンドノベルがヒントを与えてくれるとしたらこういうことですね。最近のライトノベルは小説を含めて絵から入ってるものが多いと思うんですけど、サウンドノベルは絵によって語られていない部分を文章で表現しようとしているんです。枷があるぶん、サウンドノベルの文章は、小説とは違ったオリジナリティのある文章が出てくることがある。心理描写におもしろいものが出てくるのも特徴のひとつですね。そういうことも考えつつ書いてみると、今までとは違う面白いものが出てくるんじゃないかなと。

佐藤:文章と絵が、それぞれ違うものを語って、受け手の気持ちを揺さぶるということですね。

イシイ:見てるものと違うものを語って、相乗効果でなにを生むかということです。モンタージュ理論とはまた違うんですけど。

物語の外側に確固たるテーマを/「まだまだ、こんなもんじゃないぜ」/わかりやさすさだけでは

佐藤:この間、東さんと話してて、アニメには評価体系、メディアがないよね、ということになった。ゲームもライトノベルもそうかもしれないですよね。東さんがさっき言ってたような、ブログでなんとなく総合的に理解されてて消化されていくという方向に流れていってる。それをどうしたら突破できるんですかね。問題点はかなり見えてきてる感じがするんです。その問題点は受け手にあるってことになりがちだけど、それだけではない気もするんです。僕らはたまたま作り手であり、作ったものを評価するプロでもあるわけですけれども。

東:んー。あえて言えば「テーマ」でしょうね。

佐藤:やっぱりそこですか!

東:テーマという言い方でなくてもいいんだけど、必要なのは、自分の「外側」になにかの基準を作ることです。テーマを決めてストーリーを作れば、「ラストには違うテーマになっちゃってるじゃん!」と気がつくことができる。ストーリーの外側にしっかりとした対象物をもたないままに虚構世界をつくろうとすると、虚構をどう構築していけばいいのか、立脚点がなくなってしまう。この立脚点を発見するのが難しい。これを発見できないと、言語の世界だけできれいな世界をつくって、ただ良くできているだけになってしまう。言いかえれば、最初の段階で設定した規則がただ展開しているだけの作品になってしまう。さっき言った「方程式」ものですね。

佐藤:テーマという名の冷静な自分を置いておくと。

東:だから、自分のなかに、変えたいと思っても変えられないような絶対的な立脚点をもってないといけない。別の言葉で言えば、現実感をつくっておくということです。「このキャラは、こうは動かないだろ」という感覚がなければ、どうとでも動かせちゃう。ライトノベルの虚構世界は本当に自由度が高いんで、それがないと、構造的なきれいさが先行して、6人いたら3人と3人のパーティにわけてみるかとか、そんな判断しかなくなってしまう。「違う、こいつはこいつと一緒に行かないよ」っていう必然性がないと、ストーリーは展開しない。そして、その立脚点は、ある程度テーマということにつながる。物語の展開の外側に確固たるテーマをつくっておかないと、物語はつくることができない。

佐藤:都合が悪くなったら違うキャラが出てきちゃう、みたいな。

イシイ:マルチエンディングのシステムを最初からイメージしちゃうと、ストーリーが混乱しちゃいますよね。

東:その方向で突き詰めると、設定しかつくれなくなっちゃう。まあ、「自分の外側に立脚点を作る」というのは、言うは易いけど、結構難しいことだと思います。

佐藤:分析力と共感力の両方が必要ってことですよね。脚本では、共感力は大切ですね。ああ、この主人公だったらここで鼻水たらして告白するよな、でもこいつだったら、かっこつけて言うけど実際はこけちゃうよなという、共感を読者はしたいわけでしょ。

東:もっと単純なことかな。天動説、地動説ってありますよね。数学的にどっちがきれいかというと、天動説もよくできているんです。でも天動説が間違いなのは何故か。それは、実際に地球が太陽の周りを回っているからだ、という単純な事実があるからです。そういう話に近い。そうじゃないと、きれーいな天動説ができてしまう。

佐藤:なるほど。でも、そのたとえを聞くと、よくできた天動説、というのも読みたくなってきてしまう(笑)。

東:例えばメタフィクションと呼ばれるものがありますよね。スワニスタフ・レムが書いた「架空の書物に対しての書評」が有名ですが、あれは本当はすごく難しい。架空だからなんでも書けるわけですよね。その世界だけで完結したロジックでなんでもつくれる。でも、それだけじゃ書評に見えない。架空の書物への書評なのに、そこに書評としての実在感をもたせるためには、文章の外側に「何か」があるという感覚が決定的に大切なんです。普通それは、テーマとか、現実とか呼ばれている。でも、それがキャラクターの存在感でもいいのかもしれない。それを発見できない大抵の人は、まず真似からはじめると思うんです。外側の立脚点を借りてくる。つまり「何かのような小説」を書きたいという具合になる。でも、この方法でずっと行ったら、絶対に自滅する。そして、そういうひとがあまりに増えると、負のサイクルがライトノベルというジャンル全体に回って、自家中毒になって止まってしまうかもしれない。

佐藤:読む方も「似てるじゃん」で終わりになっちゃいますよね。

イシイ:発明、ということですね。なんて、これが一番難しいと思うけど(笑)。

東:やっぱり外側になにかがあって、できればそれがライトノベルの枠に収まらないようなものだと大変いいんですよね。小説を書こうと思ったら、そういう、自分だけの立脚点を発見するといいんじゃないでしょうか、「毎日10枚書くぞ!」みたいな練習はその後でいいと思いますよ。

佐藤:そうかもしれない(爆笑)!

イシイ:素振りはするけど、試合は出るのか? っていう話ですよね。

東:何の試合にでるかまず決めないと(笑)。まずは自分だけが書きたい何か、ですよ!




東浩紀東浩紀
1971年生まれ。哲学者・批評家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会学。1993年にデビュー。1998年に出版した思想書が話題となり、新世代の批評家として注目を浴びる。現在はオタク系サブカルチャーの現場に批評家として関わるかたわら、国際大学グローバル・コミュニケーション・センタ(GLOCOM)で情報社会学の研究を行っている。主な著書に『存在論的、郵便的』『動物化するポストモダン』。

イシイジロウイシイジロウ
1967年1月28日生まれ。兵庫県出身。リクルート、カルチュアコンビニエンスクラブで広告制作・映像制作を学び、日本経済新聞社グループ日経ビデオバンクに入社。96年同社にてなぜかゲーム制作を開始。『Little Lovers』など実験作を制作後、2000年チュンソフト入社。『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』で第9回 CESA GAME AWARDS優秀賞を受賞。現在サウンドノベルシリーズの新作を開発中。

佐藤大メッセージ

佐藤大 ガガガトーク第 2弾には、ライノベルに詳しくて、しかも「大好き」じゃなくて超俯瞰から見てくれる人をゲストにお呼びしました。『動物化するポストモダン』を書き、ファウストを立ち上げたメンバーである東浩紀さん。そして、ギャルゲーの原点であるテキスト・アドベンチャー『弟切草』『かまいたちの夜』で初めて商売を成立させた人であるイシイジロウさんです。
ライトノベルではギャルゲー、美少女ゲー、エロゲーからの影響を感じられる作品が、数年前から目立つようになってきましたが、その潮流については僕は門外漢なので、詳しい人に話を聞きたいと思いました。話を聞いてみると、東さんは、ライトノベルのクリエイティビティに対して期待を寄せていることが伝わったし、イシイさんは死に体になっているテキスト・アドベンチャーの新しいカタチを模索しようとしていることがわかった。今回のキーワードは、「現状の打破」「新しいクリエイティビティのカタチ」とも言えると思います。これは、僕らがライトノベルの業界に船出をしようとしている、今の状況にリンクしていると思います。

ガガガトーク第3弾ゲストは、劇団ひとり!!!大槻ケンジ!!!

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2006年7月12日  trackback (0)  

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