


佐藤:今回、おふたりに来ていただいたのは、最前線で活躍されているクリエイターであるというのはもちろんなんですけど。神山さんは小説や漫画を映像化する立場、冲方さんは小説や脚本がそれが映像化される立場、ということで、その両側からこれからの活字の在り方、文庫の在り方というのを探っていければと。
そもそも最近、文庫という形態の本って、読まれてますか?
冲方:本自体、仕事で読むばかりなので、本当に純粋に心に残ったものというと10年前の作品になってしまったりしますよ。新幹線で移動中のときに、献本していただいた本であったりを読んでいますが。でも、一番最近読んだ文庫っていったら、萩尾望都の『トーマの心臓』になっちゃうんですけど(笑)。
佐藤:あ、漫画文庫っていうのも、ありますよね。あんな小さくなってるのに文字潰れてなかったりして昨今の印刷技術すげーっていう(笑)。神山さんは、いかがですか?
神山:僕も読まなきゃならない仕事関係の資料が多くなっちゃってる。でも、文庫の良さって、待ち合わせ中に「読むものないや」とか思って、近くの本屋でさくっと買って読む… みたいな気軽さ手軽さだったと思うんですよ。でも、ここのところそんな場面でも、いままでに読んだことのある本を買ってる。新しい作品に手を出す気になれなくて。で、良く冗談で云うんだけど、もう読み手より書き手の方が多いよ、と。
佐藤:なるほど。
神山:漫画にしても小説にしても、もはや、もうそういう状況でしょう。
佐藤:個人のブログとか見てても、ほとんど私小説ですもんね。
神山:一億総ブログ時代。でも揶揄してるみたいに聞こえちゃうかもしれないんですけど、ブログっていうのは、やっぱり消費なんだよね。一見クリエイト行為に思えるんだけど、これは消費なんです。で、プロのクリエイターにもそれは言えて、最近の作品は消費的になってきてる。新しい何かをつくっているのではなくて、なにかを消費しつつそれをアウトプットしているだけっていう状態。だから、手を出さなくなってきてる。新しい情報はそこにはない、という感じで。

冲方:そういう書き手が多くなってきているのは確か。自分が観たもの読んだものを、そのまま書いている人は多い。ただ、僕からすると、もっともっと多くなって自然淘汰される段階に移らないとダメなんじゃないかと思う。でないと、全体のクオリティが底上げされないから。はじめは良いとしてもそこから抜け出して、新しいものを書こうとする人が増えていかないとダメですね。
神山:あとね、映像化する立場からすると、最近の小説は、はじめから映像と結びつきすぎていて、いちいち映像化する必要性を感じられないんですよ。
たとえば、海外のSFって、1度翻訳を挟んでいるから、読み難いことこの上なかったりするじゃないですか。
佐藤:はいはい(笑)。
神山:とくに『ニューロマンサー』とかのサイバーパンクの頃とか。新しいインフラが世に登場した瞬間って、誰も見たこともないもの、こんなのあったらいいなってものを無理くり捻り出してるから、もうなにがなんだかわからない(笑)。
佐藤:造語を翻訳してますからね。
神山:そうそう。でも、そこが良かったんだよね。文書の中で単語がアイコン化してて、そういうところが二重フィルターかかって面白かったり。よく「映像化不可能」とか言われるけど、それは映像汚染受けてないから。そんで、そういう不可能と言われるような作品を映像化していくのが、僕らの商売なわけ。そういうところでモチベーション上がるわけです。
でもそれが、「これってあの映画のあのシーンだな」とか簡単に想像できちゃうものだったら、それをわざわざつくろうとは思わない。映像を活字に変換しただけのものをもう一度映像化しようとは、僕には思えない。
“活字の映像汚染”が激しすぎるんです。書いてる人は狙ってるのかもしれないけど、絶対、アニメ化なんてしないぞ!という(笑)。
佐藤:でもライトノベルの編集さんとかは、絶対狙ってますよね。映像化を考えてイラストレーターさんとか、チョイスしてる感じですもんね。
冲方:いや、それは、そうでもないんですよ。そこまで狙ってやれる編集者は少ない。そういう意味では、編集者ももっと数が出てきて、それで淘汰されないと、いけないんでしょうね。現状では、作家の方に注文しちゃうんですよ。読者がわかりやすいようにしてくださいって。
僕、『マルドゥック』でずっと「なんで天井歩くの?」って言われ続けてきたんですけど、『マトリックス』が出てから、ぱったり言われなくなったんですよね。
神山:あー、当たり前になっちゃったんだ。
冲方:書いてから、実際に市場に出せるまでの壁って、かなり厚いですよね。その壁を乗り越えるために、なるべくわかりやすくしていくんですが、でもそれが、新しいものを生み出すことの弊害になってる部分もある。
神山:そのジレンマはつきまとうでしょうね。どこかで見たことあるものを書かないと通らない。でもどこかで見たことあるものだけを書いただけでは、何も突破できない。
僕も昔、どうしても通らなかった企画があるんだけど。主人公がはじめから天才、っていうやつ。昔は少年漫画でも小説でも、凡人の主人公が成長していく過程を描くのがエンタティンメントだって云われてたでしょ。だから、僕の企画はドラマツルギーに反してるって却下されたの。今だったら普通なんだけどね。少年漫画でもはじめから必殺技持ってるし。
冲方:そこ、ガガガ文庫では、突破して欲しいですよね。書く側にも、それから編集する側にも。
たいてい、こういう賞のうたい文句って「新しい風を求む!」みたいに書いてあるんですけど、ほんとに新しいことやると「キミぃ、これはちょっと…」ってことになるし…。
佐藤:そういう経験あるんスか?
冲方:もう、ずっとそうでしたよ(笑)。僕、3年間、仕事なかったですからね。『マルドゥック』だって、13人も編集さんまわったんですよ。全部ボツくらいましたけどね。
佐藤:それが、SF大賞とっちゃったわけだ。すげえ。僕、『マルドゥック』はじめて読んだときに、いきなり娼婦がこどもで出てきて、心の痛みを持っていて、でも基本はネズミとの交流物語で… ってこれは映像化難しいなって思いました。
神山:僕も読ませていただいて、一瞬、映像化しやすそうに思ったんだけど、これは難しいなって思いました。
冲方:それは、みなさんに言われましたね。しやすそうで、実は… っていう。肌触りの描写が多いんですけど、「あれは罠だ!」とか言われて(笑)。
佐藤:でも映像化する方は、逆にそういう方が燃えるっていうことですよね。
神山:そうだね。活字には活字の良さ、映像には映像の良さがあるんでね。それぞれ活かしたいよね。たとえばファンタジーは、活字メディア向きだと思うんですよ。実写映像だったら誰も見たことのないものを見せるってだけでもエンタティンメントになるって考えもあるけど、とりあえずアニメ向きではない。だって、アニメって基本的には全部作りものじゃないですか、その中でなにやってもあんまり伝わらない。アニメでファンタジーってド真ん中のように思えるかもしれないけど、実はそれほど茶番なことはなくて。だいたいファンタジーじゃなくなっちゃうわけ。作り物の中で作り物見せても。そこへいくと活字っていうのはいいんですよ。読者は想像する世界っていうのは常にニュートラルだから。
佐藤:頭の中で自分なりの形にしていってくれますもんね。
神山:シンパシーさえ掴めれば、不完全でいいわけですから。そういうところに活字の可能性っていうのはある。下手に映像化されたのを見せられると、しょんぼりだし。
冲方:伝説の剣ってこんなだったのか! とか(笑)。

佐藤:僕はこの春までの1年間、ロボットものをやってたんですけど、ずっとロボットものの定義をぶっ壊そう、新しいことをやろうと思ってやってきたんです。でも、それが見てる人たちにとっては、すごいストレスだったらしくて。でも僕の言ってる“新しいこと”っていうのは、逆に現実では身近にあるもののことだったんですよ。世界設定はファンタジーだったんですけど、だからあえて食べ物とか服だとかは現代的にしたり、セリフもこういうやついるよねっていうものにしたり… そういうアプローチだったんですが、どうもあんまり歓迎してもらえなかったみたい。
神山:みんな、安心したいんだよね。前例がないものっていうのは、不安なんでしょ。でも、誰かがそこを突破しないと何も始まらない。そこは抗っていかないと。しかも、結局は一番最初に突破したヤツがおいしかったりするわけだから。
冲方:これまでの読者・視聴者がものを消費していくときに積み上げていった“お約束”の壁ってありますよね。この世界観にこの記号があるなら OK。ないなら NGっていう。この壁は、もう確実にあるんで下手に崩さないで、発展させたり、半分だけ新しい記号を追加したり… そのさじ加減は必要かも。
神山:一歩先行っちゃうとダメだけど、でも半歩先にはいかないと。
佐藤:映像の原作として小説を採用するってこと自体はどう思いますか?
神山:それは制作スケジュール上、仕方がない部分があるんだと思いますよ。全体の制作期間はものすごく長いんだけど、お話を作る部分に割ける時間っていうのは、ほんとに短いから。だったら、もともと時間をかけて練られている原作を持ってきた方が良いだろうというのは単純な話で。
でも、そういう意味では、実写に比べてアニメはわりと頑張っていて、なんとかオリジナルの物語・世界をつくろうとしてますよね。ここのところ、アニメが評価されているのも結局そういうところなんじゃないかな。
佐藤:冲方さんなんかは、逆にそこをつくるよっていう商売を発明されてるわけですね。ファフナーもアニメと小説が同時進行ですよね。
冲方:そうですね、ストーリー屋みたいなこと、やってますね。ストーリーからつくって欲しいと最初お話があったときには、僕がつくっちゃって良いのかな?とも思ったんですけど。
神山:これからも、そういう風にどんどん分業化していく可能性は高いと思う。ハリウッドなんかはもうすでにそうですよね。とすると、ライトノベルっていうのもね、ライトっていうくらいだし、そういうアニメや映像へのアイディアの元ネタがぽこぽこ生まれてくる場所っていうのが本来の使命なのかもしれない。
佐藤:ライトノベルの起源とも言われている、ソノラマが70年代にやっていたことも、そういうことでしたもんね。アニメの原作にも成り得る「クラッシャージョウ」があったり、アニメのノベライズである「機動戦士ガンダム」があったり。
神山:僕も、ガンダムのノベライズを中学生の頃に読んで、活字のおもしろさを知っていったクチだし、入り口としては全然アリなんだと思うよ。
佐藤:ガンダムでいったら、アニメーションでは絶対描かれない、お守りの中に陰毛が入ってるとか(笑)、そういうエピソードが入ってたりね。そういうのは、すごく楽しく読んだ記憶はありますよね。
神山:そう、あとは富野さんの精神論だったりね。そういうのは、活字で読む意義があるものだったとは思うし、だから、そういう流れが良いか悪いかっていうのはまた別な話なんだよね。ただ、そういうだけでは困る、と。
佐藤:今は、みんな入り口でみんなたまっちゃった状態、なんでしょうか。
神山:うん。その両軸ともがブレてしまっているせいで、中途半端になってるんじゃないの。そこでまた話を戻すと、その卵となるべきものが、どっかで流れてたアニメの映像汚染を受けてしまっているのは、やっぱりマズイわけですよ。それは完全に自家中毒起こしちゃってるわけ。その辺がライトノベルがその使命を担いきれなくなってしまった原因なのでは。このあたり、これから書こうっていう人には気をつけていただきたいですね。

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1977年2月14日生まれ。岐阜県出身。96年『黒い季節』で第1回スニーカー大賞・金賞を受賞し、デビュー。『マルドゥック・スクランブル』(ハヤカワ文庫JA)で第24回日本SF大賞を受賞。小説執筆のほか、アニメ、ゲームのシナリオ企画、漫画原作などの分野でも活動中。

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1966年3月20日生まれ。埼玉県出身。85年スタジオ風雅に入社。『アキラ』『魔女の宅急便』等に背景として参加。96年、プロダクションI.Gにて押井守が主催した押井塾に参加後、『人狼』演出『BLOOD』脚本『攻殻機動隊S.A.C』『S.A.C2ndGIG』でシリーズ構成と監督を勤める。現在は『攻殻機動隊S.A.C/SOLID STATE SOCIETY』『精霊の守り人』を制作中。
2006年05月20日 trackback (2) ▼

佐藤:小説を書くときには主観と客観ってどう定まっていくんですか。つまり、基本的には、一人称か三人称、ってなりますよね。
冲方:それはもう、書きながらです。主観の中に客観が入っていくこともありますし。
佐藤:書いてる途中で、失敗した!とか思って変えることってあるんですか?
冲方:ありますね。失敗じゃなくても、そのキャラクターが要求してくる文章の形っていうのは必ずあるんですよ。それともうひとつは、読者が要求してくる文章の形というのもありますし、または編集者が要求をしてくる場合もある。それらの中間点で描く、という感じですかね。
佐藤:そこは、じゃあ、けっこう自覚的なんですね。
冲方:そうですね。そもそも、主観の文章を書く人っていうのは、客観が発達してるんですよね。“私”を描かなきゃいけないわけだから、それはもうかなり客観視しないといけないんです。
佐藤:そこが、ブログなどと違うところなのかもしれないですね、客観視してないからこそのきらめきがブログにはあるのかもしれない。でも、それをエンタテインメント作品に仕立て上げるときには、主観を自覚的にしていかないとならないんですね。
神山:ブログとかでみんな散文的なものを書いていて、すごく上手いんだけど、じゃあなんでみんな作家にならないのかっていうと、それは、かしこまっちゃうからだと思うんですよ。皮膚感覚として、ブログの 4行の方がうまく訴えかけられるってこともあるんですよね。であるならば、なんでそういう風に訴えかけることができるのか、ってことを絶えず意識し続けたほうが良いと思う。っていうのは、これも練習ですよね。
冲方:他人が自分を見てるということを意識しながら書けないといけないんですよ。見てることにどんな意味があるのか、ってことを意識すると書き方も違ってくると思う。
神山:ブログの面白さっていうのも、基本的には書いてるのが誰だかある程度はわかってるから面白いんであって、あれ、何も知らないプロフィールも確認してないとある日の日記だけ読んだって、よくわかんないんだよね。
佐藤:自分の中でキャラが立ってこないですもんね。真鍋かをりのブログにしても、真鍋かをりがこういうこと書いてるんだなってとこも含めて面白いんですもんね。
神山:ブログはのぞき見感覚があるでしょう。真鍋かをりってこんなこと思ってるんだ、佐藤大ってこんなこと思ってるんだ、っていう内側が伝わってくるからこそ、皮膚感覚としてぐっとくる。でも、誰かの物語を描くエンターテインメント小説ではそうはいかないんだよね。パーソナリティを作品に転化していくには、やっぱり練習がいるんだよ。どれが自分に合ってるやり方なのかっていうのを、何度も何度も素振りして、カラダに叩き込んでいかなければならない。
ただ、まったく、そういうことに気がついてなくて、ポーンと「なんとなく書けるかもー」って思えるんだとしたら、逆にその良さは活かしてもいいかもしれないとも思う… 素を活かすのか、それとも練習してプロになるのか、その2択だよね。ま、それを前者を選択するとしたら、それは人生の中でほとんど1チャンスしかないわけだけど。
佐藤:一発勝負ですね。
神山:でも誰しも1回はあるわけ。ブログであれだけのものを書けるんであれば、そういう手法を最大限に生かして突然プロ化っていう可能性もなくはよね。見たことないものっていうのはそれだけで価値があるから。まあ、その1回でとりあえず賞とっちゃってから、デビューするまでに100万回素振りするって方法もあるし。
冲方:そうそう。デビューが決まったときからが、スタートなんですよ。磨いていかないとダメです。
神山:そんな感じで、針が両極で振れた方法でやってきてほしいなあ。
佐藤:参考になるかどうかわからないんですけど、ジェイ・マキナニーの『ブライト・ライツ・ビック・シティ』という作品、なんでこれが衝撃的だったのかというと“きみ”っていう二人称で書かれていたからなんですよね。80年代のサリンジャーとかいわれた人だけど。「きみはこんなことをするやつじゃない」って誰だよと思ったら、主人公を指してるんです。主人公であるYOUのドラマなんだけど、でもずっと読者に話しかけてる形式になってる構造が面白かった。この作者も、その1回しかやってなかったですしね。
神山:沢木(耕太郎)さんの本でも、檀一雄(檀ふみの父親)さんの奥さんにインタビューしたものを、奥さんの視点で書ききるというのがありましたね。これなんてジャンルだろう… っていうね。ノンフィクションなのに、沢木さんの視点はなくて、奥さんの主観で描いちゃってて、ものすごいもの。もちろん、すごい力量を持ったプロだからできたことだと思うんですけど、でも素人だとしても、そういった新しいことであればいけるかもしれないですよ。
佐藤:中原昌也くんの作品では、主観の人称は変わってないのに 主観本体自体がどんどん変わっていって、背景がどんどん変わっていくという短編もある。ふと気がつくと、なんで新宿にいるんだろうっていうことになってたりして。
神山:なるほどね。そういうのはやっぱり小説ならでは、だよね。
佐藤:それは貫井徳郎さんの小説なんかでも良くやられていて、行動に嘘をつく、というやつですね。映像化してしまったら、出落ちになってしまいますからね。
神山:叙述トリックってやつですね。こういうのはライトノベルでもどんどんやってほしいですよね。
冲方:ただ、描きたいテーマや世界があって、その方法を選ぶということならいいんですけど、でも例えば漫画でも「オレ、見開きが大好きだから毎ページ見開き!」とかやられても、何が言いてぇんだかわかんねえよ!ということになるでしょう(笑)。完全に手法が先行したもので、成功する可能性は低い。
神山:その手法で描けるだけのテクニックをつけないとならんよ、ということでもあるのかな。
佐藤:沢木さんのあとがきやエッセイなんかを読んでいると、最終形にたどり着くまでにものすごい量の実験をしてますもんね。村上春樹さんも毎回文体を変えて、戻してっていうのをやっていたりもしますが。
神山:文体を探す旅ですね。

佐藤:昔の文豪とかって、銀座でガチで喧嘩してたりするじゃないですか。そこに批評家とかも絡んできたりして、さらに揉めたり… そういうのって今あんまりないですよね。
冲方:ネットが普及して減ったのは、肉体的な喧嘩でしょうね。
佐藤:面と向かった喧嘩って、もっとあっても良いと思うんですよ。
僕、脚本の本読みなんかのときによく「佐藤さん、喧嘩してるんじゃないんですから」とか言われるんですよ。いや、別にあれは普通です、みたいな。けっこう話し合いのときの温度差って、人によって違うなって最近思いました。
冲方:きちんと喧嘩できる作家や編集者は良いものをつくる気はしますね。
佐藤:意地の張り合いとかじゃないんですよね。代案のない意見は意味ないですし。それはもうただの好みってだけなので。ネット上でも友だち同士でも批評しあったりすることって、今はとても多くなってきてると思うんですけど、なにか意見するときには、必ず代案を用意するようにして臨むと違ってきますよね。代案を探すって視点で読んでみると、自分とはまったく関係ない文章でも面白く思えてきたりしますから。
神山:それって、でも素人のうちは無理なのかもよ。ひとつの椅子を争ってるわけだから。
佐藤:でもサークルとかってそんな雰囲気ありませんでした?
神山:かつてはあったかもしれないんだけど、今はそつなくまとめてブログで発表して気がすんじゃうとかね。あとは、ひとりでも賛同者がいてブログにコメントくれただけでね、大満足なはずだから。世界中のたったひとりがレスをくれたってだけで、それを歓びに感じちゃったりするわけですよ。
プロでもブログやりはじめると、そっちに力点がいっちゃうプロの作家もいるんですけど。だから僕はプロはブログやっちゃいけない派なんですよ。
冲方:きりないですよね。向こうは、どんどん要求してきますしね。最近では、まあ、広告的な意味合いになってきてるんじゃないかと思いますが。
神山:プロだったら、せいぜいそっちだよね。やっぱり安易にクリエイト行為をしてしまうのはいけないと思うんです。誰かがお金を出して商品化してくれる、っていうフィルターを超えなくても カタチになってしまうから、カラダが楽しようとしちゃう。
佐藤:企画を持ち込んでも商品化なんてされない、なんてこといっぱいありますしね。
神山:しかも、最後にはお金を払ってくれるお客さんっていうフィルターも突破しなきゃいけないわけでしょ。
佐藤:そこでまた大きなダメ出しがやってきますからね。
神山:プロは、あらゆるダメだしに耐えて発表していくっていうっていうことに、カラダを馴らさなきゃいけないんですよ。だって、あれ、同じことガリ版でやってみなさいよ(笑)。ブログだと自分でやらなくても、ある程度きれいにデザインされちゃってるからいいようなものの…!
佐藤:ガリ版っていうか、僕、むかし同人誌やってたから、ちょっとわかるんですけど、あれにはあれでちょっとヤった感はありましたね。
神山:そうそう。だって、ネット以前だったら、最終的に多くの人に見てもらおうと思ったら、必ずそこにフィジカルな動きが必要なってきてたでしょ。ネットには、そういうフィルターがなんにもないんだもんね。
佐藤:そうだ、確かに、重たい荷物搬入したりしなきゃならなかった(笑)。

冲方:ここまでの話をまとめると、要するに、ガガガ文庫にはなんちゃってクリエイターは来るな、と(笑)。どんどん敷居が高くなってるような…。
神山:いや、なんちゃってでもいいんですけどね、そこにオリジナリティがあれば。オリジナルっていうのも 2種類あって、奇跡的に誰も発見してないものを見つけちゃうビギナーズラックか、もしくは、模倣に模倣を重ねた上で浮かび上がってる作家性か。そのどちらかしかないんですよ。ブログでおもしろいこと書いて、それがそのまま本になりましたというタイプだとすると、それだけでは長続きしないから、その後はやっぱり素振りか、もしくは毎回すごい発明をくり返すしかないだよね。
でもそれ、例えば30年生きてた人間… 主婦とかが、それまで密かに思ってきたことをポロッと出したから面白かった、ということだったりするわけでしょう。しかしですね、2作目はその数ヶ月後に書かなきゃいけないわけですよ。30年分の蓄積があったから成立していたものを、次は数ヶ月のもので書かなきゃいけなかったりするんですよね。
佐藤:デビューしちゃったら早いですからね(笑)。どんどん尻叩かれて、巻き込まれていきますから。もうプロになってしまったが最後、悩んでる暇はなくなります。だから、ほんとデビューするまでに腐るほど悩んでおいた方が良い、というのは言えますね。自分の問題をできるだけ客観視しておいた方が良い。
冲方:そういう優等生な新人さんばかりだったら、編集者は楽で楽でしょうがない、とは思います。
佐藤:素振りは大切ですよね。僕、小学校の頃が人生で 1番本読んでいた時期なんですよ。1日1冊とかルールを決めていて。別に難しい本を読んでいたわけではないんだけど、その頃の蓄積が今の自分を助けてくれているってすごく感じる。
神山:そういう時間をどれだけ持ててたかっていうのも重要ですよね。社会人になっちゃうと、もうまったく自分の時間はなくなると思った方が良い。本もそうだし、音楽とかもね、ちょっとギター弾いてみようかなーなんて思ってもできませんからね。そういう無駄な時間がいかに重要か…! ほんと学生の頃にしかできなかったりすることだから、こういう、賞に応募しよう、みたいなのもどんどんやった方が良い。それでデビューするんだ、とかあんまり思い詰めた感じにじゃなくて、ちょっと書いて送ってみようかな、みたいなのでも全然いいと思う。ちょっとした課題だと思って、5つの賞に出してみよう、とかね。出すこと自体が目的でいいと思うんだよ。大体、こういうので賞とる人はすごい人なんだけど、もちろんすごいから賞とるんだけど、でも思い詰め過ぎてる人ってそこが到達点になっちゃってる気がするの。
冲方:受賞したぜー!っていうので目的が達成されちゃうのは、すでに終わってますからね(笑)。
佐藤:入り口かと思ったら出口になっちゃうんだ(笑)。アニメーション業界にしても I.G.であったり憧れのプロダクションに入ることで、もう満足しちゃうとかってあるって聞きますもんね。
神山:そうなの。だから、目標はもっと先に設定してないといけないんだよ。賞をあげる方もそれははじめから教えておかなければならないことだよね。
佐藤:おお。
神山:なので、あのー、これは小学館さんにお願いしたいのですが、これが到達点ではないんだということを知らしめてほしいんです。というわけで… つまり… 賞金を7000円にしてほしい!
一同:(大爆笑)。
冲方:わかった! デビュー後にもう1作出したら賞金が払われる、とか!
神山:だって、100万円とかやっちゃったらもう書かないよ!
佐藤:あー僕も最初のギャラ5000円だったしなあ。
神山:物語を生み出す力が弱くなってたりとか、フィニッシュする勢いがなくなってたりとか、そーゆーことがあるんだとしたら、その練習のために賞の締切を使えば良いんだよ。
佐藤:脚本なんかでも、今までに何本も書いてるんだけど、書き終えたのはこれが初めてで〜みたいなことを言ってる人がよくいるんだけど。
冲方:ちょ(笑)なんだそれ!? 書き終えてないのに書いた、とか言っちゃうの??
神山:ああ、でも、僕にもその経験はありますよ。未完の脚本なんて山ほどあるんです。素人の頃だから許されるんですけど、なんだかえらい壮大な物語を思い描いちゃって(笑)。100P書いてもまだ完結しない、みたいな。
そういうのである程度の基礎体力をつくっておくのも良いかもしれないけど、さらにフィニッシュ経験をどれだけ積めるかっていうのは確かに大事かも。賞って完成してないものは受け付けてないし、なので、終わらせるための方便として賞を利用すればいいよね。
こういう賞は、抱え込むための良い新人を発掘しようっていうだけじゃなくて、なにかをクリエイトしたいっていう潜在意識を持っている人たちを刺激して、底辺を拡大するためにあると考えてもいいよね。
佐藤:プロとして続けていくには、絶対的に体力、フィジカルの強度が必要になってくるんですけど、それって、どれだけそれまでに書き終えられているかっていうのが、大きく影響してると思うんですよ。なので、とにかくフィニッシュしてほしいですね。話は、それからです。

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1977年2月14日生まれ。岐阜県出身。96年『黒い季節』で第1回スニーカー大賞・金賞を受賞し、デビュー。『マルドゥック・スクランブル』(ハヤカワ文庫JA)で第24回日本SF大賞を受賞。小説執筆のほか、アニメ、ゲームのシナリオ企画、漫画原作などの分野でも活動中。

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1966年3月20日生まれ。埼玉県出身。85年スタジオ風雅に入社。『アキラ』『魔女の宅急便』等に背景として参加。96年、プロダクションI.Gにて押井守が主催した押井塾に参加後、『人狼』演出『BLOOD』脚本『攻殻機動隊S.A.C』『S.A.C2ndGIG』でシリーズ構成と監督を勤める。現在は『攻殻機動隊S.A.C/SOLID STATE SOCIETY』『精霊の守り人』を制作中。
2006年05月27日 trackback (2) ▼

神山:アニメもそうなんだけど、ライトノベルもね、ぼちぼち一見さんお断りジャンルになりつつあるよね。
冲方:あー。ありますね。
佐藤:本屋さんの中のコーナー的にも、敷居高い感じになってきてる。
神山:レンタルビデオ店のアニメコーナーもね、今でこそ、ディズニーとかポケモンとかこども向けの作品が多く揃って、お母さんたちも入りやすくなってると思うけど、昔はさ、エロビデオんとこと同じ匂いがあったんだよ。
佐藤:なんか肌色頻度が高いんですよね(笑)。
神山:で、今のライトノベルの棚にも、ちょっと同じような匂いを感じちゃうんです。
佐藤:たしかに、イラストで釣ろうとすると肌色頻度は上がってきますからね。
神山:それが、一般の人の足を遠ざける理由になってる気がする。今、あのコーナーで、目立とうと思ったら、ライトノベルを想像させるモチーフを一切排除したものをポンと置く方が有効だよね。間違えて置かれてるのか? とか思うくらいの。
佐藤:ハヤカワはやりましたよね。桜庭一樹さんの本で、一面、真っ青のやつ。確かに、すっごいインパクトはありました。ま、全部がそうなっちゃったら、どこのポストモダンだよ!ってことになっちゃいますけど(笑)。でも、そのくらい冒険してもイイと思うんですけどね、文庫って形式だったら。文庫本って気軽に扱えるところが良いんだし。これ面白かったよ、とか言ってその場で友だちにあげちゃう、とかね。でも、そういう風にするには、今のライトノベルはちょっと高くなっちゃってるのかな。
冲方:気軽に捨てたり、あげたりできなくなるっていうのは、商品としての足も遅くなるってことなんで、それはあんまり良くないんですけどね。
佐藤:前に、バリに旅行にいったときに、世界中の旅行者たちが読み終わった本を置いていってる本棚というのがあったんですけど、その中に沢木耕太郎の本とかもあったんですよ。で、もらって読んでたんですけど、前に読んだ誰かが引いた線が書いてあったりして… そういうのって、本に刻まれる歴史って感じで僕は好きです。昔ながらの古本屋もよくのぞいていたんだけど、ブックオフが出来てからはみんな画一化されてキレイにされて並ぶようになってしまって。ま、もちろんブックオフもすごく便利なんですけど。
神山:今は、文庫本なのに、ハードカバーかってくらい重たくなってるんですよ。存在が。
冲方:どっかキレイ過ぎる気がしますよね。

冲方:イラストについては、ジレンマですよね。ああいう絵だから売れてるっていう事実は確実にあるから。でも反対に、あの絵だから固定層にしか売れない、という面もあるんですけど。この現象の間をどう橋渡しすればいいのか…。
佐藤:なんなら、もはや作家の文体なんて関係なくなっちゃってますもんね。イラストレーター買いする人もいて。
冲方:うん。それでも、これまでだったら、そういう層の人たちはすでに大人で経済力もあったから売上げを支えてんですけど、だんだんと卒業していってしまったわけ。今やそこんとこがごっそり抜けてしまいつつあって、だから産業として成り立たなくなってきてるんですよね。これは、イラストに頼りすぎた反動は、少なからず来てるんだと思いますよ。
神山:イラストレーターにしても、本文は読まずに書いた、とか平気で言うもんね。制作進行上やむを得ず、というわけじゃなくて単に「めんどくせー」ってだけの理由でも。そういう場合だともう、はなから作品とリンクする気なんてないんですよ。だから例えば、イラストが人気あるみたいだから、イラスト10倍くらい増やして、文章半々くらいの形式でいきましょうよ!とかいう企画を立てたとしても、きっとイラストレーターさんは喜びやしないんだと思うよ。そこまで、関わる気はないんだよね。数枚描くくらいがちょうどいいのかな。
冲方:そういう現状があるとして、それでもコンテンツをまわしていかざるを得ないっていうのは、編集側にとってもギリギリの選択ではあると思う。でもね、一番の問題は、文章書く側にあるんじゃないかな。イラストレーターさんをやる気にできないのは、作家側が一定レベルのクオリティを提供できてないせいなんじゃないか、という気がする。
結局、絵描きさんだってなんだって、クリエイターっていう人種は、常に刺激が欲しいわけなんですよ。どんなに忙しかろうと、自分が錆びついちゃうのが一番怖いわけじゃないですか。そこで「読みたくない!」って云われちゃうんだとしたら、それは刺激のない面白くない作品だってことですよ。だとしたら、これはそのまま作家さんに伝えてあげてですね──。
佐藤:うわ、アイタタタ(笑)。それ、この場では、冲方さんにしか言えないことだよ!
冲方:でも、これは早く手を打たないと、やがて読者にも伝わっていってしまうことですから。このままでは、イラストが載ってるから買うけど読まない、みたいな、食玩的ものにどんどん成り下がっていってしまうんですよ。
佐藤:すでに、ちょっとそうなってますもんね。自宅の本棚では、イラストレーターさんの名前で分けてるファンもいるって聞いたことあります。
冲方:うわ、危険だなあ、それ。もはや作家は記号でしかなくなってるのか!
佐藤:そう、作家名も文庫レーベルも関係なくイラストで整理されているんですって。
神山:そうか… ならば、もはや、そういうジャンルだと思って受け入れていくしかないような気が…。
一同:(爆笑)。
佐藤:でもそれはさすがに、物語を書く方はイヤでしょう。
冲方:そうですよ! そんなの絶対発展しませんよ。そうか、わかった、じゃあ逆にイラストレーターさんに10枚好きな絵を描いてもらって、それを小説化するっていうのでどうだろう。このイラストに話をつけろ、っていう。
佐藤:あ、僕、それと似たような企画を、森本(晃司)さんとやろう!って盛り上がってたことありますよ。誰かのカメラの中に残されてた1本のフィルムから現像した写真1枚1枚からイメージを膨らませて繋げてストーリーをつくっていこう、っていうものなんだけど。
神山:イメージからのノベライズか。なるほど。それなら、少しは新しいアプローチ方法が残されているかもしれない。
冲方:いぜれにせよ、そろそろライトノベルのクオリティにも、指針を見出していかないといけないんですよ。音楽とか絵って、キレイとか上手いとかって、感覚的に大体わかるじゃないですか。でも文章って、基準がよくわからない。面白いけどどうなの?とか、読みやすいけどどうなの?とか、これって買う価値あるの?とか。曖昧なんですよ。そもそも買う価値のある文章ってなんなんだよっていう。
なんというか、ライトノベルっていうのは、アニメとかゲームに近い位置にありすぎて、その辺を混同しちゃってる気がする。ゲームやアニメのシナリオの法則を、そのまま小説に持ってきても、クオリティは上がらないんですよ。それっていうのは、どうしたってアニメやゲームで見た方が映える作品になってしまうんです。
佐藤:神山さんの言うところの映像汚染、ですね。ただ、そんなところにも頼らざるを得なくなっている、というのは現状ではありますね。
冲方:でも、そんなんだから、もともといたライトノベルファンも大量に離れていっちゃったんだ、という意見もあります。イラストにしてもそうですよ、編集者も、今どきイラストレーターを半年もくどく、とかやってないで(笑)、これさえ読ませればあの人も動く、というような作品を作家と一緒につくっていかないとダメなんですよ。逆に、イラストレーターさんが「こういう絵が描きたいんですよ!」ってすごい魅力的な絵を持ってきてくれたら、僕は書くだろうし。常に、刺激し合っていたいですね。

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1977年2月14日生まれ。岐阜県出身。96年『黒い季節』で第1回スニーカー大賞・金賞を受賞し、デビュー。『マルドゥック・スクランブル』(ハヤカワ文庫JA)で第24回日本SF大賞を受賞。小説執筆のほか、アニメ、ゲームのシナリオ企画、漫画原作などの分野でも活動中。

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1966年3月20日生まれ。埼玉県出身。85年スタジオ風雅に入社。『アキラ』『魔女の宅急便』等に背景として参加。96年、プロダクションI.Gにて押井守が主催した押井塾に参加後、『人狼』演出『BLOOD』脚本『攻殻機動隊S.A.C』『S.A.C2ndGIG』でシリーズ構成と監督を勤める。現在は『攻殻機動隊S.A.C/SOLID STATE SOCIETY』『精霊の守り人』を制作中。
2006年06月03日 trackback (1) ▼

神山:「ものづくりが趣味です」とか言いつつ「でもひとつも作品を創り上げたことはありあせん」って人よくいるじゃないですか。じゃあ、なんででものづくりに興味をもったのかというと、クリエイターを見てるとアレになりたい!って思うみたいなのね。
冲方:なってから来てよ、っていう(笑)。
神山:アニメにしても漫画にしても小説にしても、今って、いろいろ学校もあるわけじゃないですか。でも学校を卒業してもなお、そこを通過してないわけですよ。漫画を一度も脱稿したことないのに、漫画家になりたいとか言っちゃう感じね。でもね、「部活もやったことないですが、プロ野球選手になります。バットとグローブはこれから買います」みたいなことはスポーツ界だったらありえないように、こっちも本来ありえないことなんだけどねえ。
しかし、これっていうのは、もはや創作する根拠があったから作家になった、ということでもなくなりつつあるってことでしょう。いよいよ意味わからなくなってくるよね? なんかもう、とりあえず世の中に活字を垂れ流さなければならないんで、そのシステムに乗っかる人間をさらってこい、みたいな話になってきますよね。
冲方:(爆笑)。
神山:絵の方に片足突っ込んでる立場からいわせてもらうと、けっこうね、絵を描いてる方も、何書いて良いかわかんないんです。もはや、純粋にクリエイト行為に加担したいって思ってる人間は、そんなにいないと思う。でもクリエイトし続けなくちゃならない経済構造に、今の時代がなってきてるんだと思うよ。
ハリウッドだって、すごい映像をつくるための便宜上として脚本があるんだよ? あのすごいインフラを使い続けなければならないから、物語を捻り出してるわけで。だから、どんどん過去の作品を焼き直したりしてるわけででしょう。
冲方:そうか、モチベーションって、そもともそんなにないのか!
佐藤:なんか… すごい話になってきましたねえ。でも、プロまでのハードルっていうのは、下がってきてますよね。反面、続けるハードルっていうのは上がってきてるわけですが。
神山:明日からアニメーターになりたいって急に言い出すバカは少ないけど、明日から脚本家になりたいってい言い出すヤツはいる。字はみんな書けるし、PCだったら漢字かけなくても知らない字までまでバッチリ打てるわけですよ。つまり手段としてのハードルが低い。そこんとこが、冲方さんの言ってたクオリティ判断が付きにくいことの一因でもあるよね。
佐藤:それに抗うには、やっぱりフィジカルだと思う。誰しも煮詰まることはあるわけだけど、そこを突発するには、人と面と向かって話すとか、外の世界の刺激を受けるとか、そういうことが大事。他のクリエイターさんと話してても、みんなそういうことがキッカケになったと言っていて。なんとなく、ここ数年で時代の流れもメンタルからフィジカルに移行してる気がするんですけど… でも、もしかしたらこれは、単に歳とか経験値の問題で、自分たちがプロで何年間かやってきたから、ようやくそういう風になってきてるのか…?とも思えるし、どうなんでしょうね。
神山:両方だと思いますよ。時代の空気感ていうのはちょっと感じますけどね。
佐藤:活字離れとか言われてる昨今だけれども、実際には、ネットなんかを含めたら、昔よりもずっと文字は溢れてますよね。しかも、今は読むだけじゃなくて、みんなが綴る側にまわっている。携帯のメールなんてMAX3000文字とかでしょ。下手したらそれだけ打ってる人がいるってことですよね。それでなくとも、しょっちゅう送受信してて。ブログなんかも含めてね、打ったり読んだりは、もうすごい慣れてると思う。だから、活字離れっていうのは、厳密にはウソだと思ってるんです、僕は。
神山:しかも、喋ってるのと同じ速度とテンションで打ててるわけだもんね。すごい。ブログとか2chのテキストを書籍化なんていう企画は、まだしばらく続くと思いますよ。
佐藤:出版社でもばんばん企画書が飛びかってそうですよね。泣けるブログ、とかいって。
冲方:売れっ子ブロガーとかね、無性にむかつきますモンね(笑)。ただ、この現象で唯一の救いなのは、本という形態でまだ読みたいと思ってくれてる人がいるってことですよね。紙媒体はまだ生きる残る。本は生きている。
佐藤:そうか。電車男とかもべつにネットで見ればいいのに、わざわざ、本を買う人がいるわけですもんね。本はどこまで読んだのかとか、皮膚感覚でわかるのが良かったりしますしね。そして文字も、また別の意味では生きている、と。そこに最後の救いがあったのか…ってなんだか救いのない話になってきてますが(笑)。
神山:と、なると一番読まれてないのは、プロの書いたものってことになるんだな。
冲方:うわっっ! がっかりだ!
神山: もしかすると、このままいったら、書きたい人がひとりずつマウンドに上がっては、降りていくっていう状態になるんじゃ… 全国中の人が全員持ち回りで、生産と消費を繰り返すという。セキララ日記っていうのをね、日本中の人が交代で書けばね、日本人の人口分は本が出るわけだし!
冲方:行き着く先はそうなってくのかもしれませんねえ。
神山:ケータイやブログとかノンフィクション性があるものは、情報の鮮度が高い。これは、刺激が強いから魅力的ですよね。フィクションは、そういうものに勝っていかなきゃいけないんですよ。ちょっとくらいのどこかで見たことある風景だったら見向きもされない。相当強固な“見たことある”でなくちゃいけなくて、さらにやっぱり何度見てもいいなーってものじゃないと勝てない。でも今はそういう強度のある作品が少ないんだと思うよ。
冲方:普遍性、ですよね。そこはエンターテインメントだったら、ひとつの柱として持っておかなければならないクオリティの指針ですね。
神山:ベタベタなものは書きたくないっていう気持ち、誰しもあると思う。だけど実は、書かないんじゃなくて書けない、って可能性も高いわけ。強度のある構造。これが今、欠けているものですね。そういう強度の足りないものばかりだから、強度より鮮度をとってしまうのは、仕方がないのかも。
冲方:難しいんですよね。真っ直ぐなものっていうのは。
佐藤:お客さん、悪くない気がしてきた。今の話聞いてると。よくワイドショーで文字離れがどうとか言ってますけど、そりゃそうだって、ことですよね。
冲方:そうですよ、基本的には悪くないですよ。正直なだけ。っていうか、きっと、そのワイドショー自体の方が面白いんですよね、メディアとしては。今まさに喋ってて、5秒後には違う話題に移ってく… 次に何が起こるかわかんないっていうのが。
佐藤:お笑い芸人さんの人気の傾向を見てもそうかも。今って、ショートコントから漫才にいって、漫才から一発芸に流れてますもんね。どんどん手軽な方向に向かっていってる。これも、鮮度をとってるってことか。そこに構造はない。
神山:そんな中で、いちばんリスクが高くて、鮮度を提供しにくいのが“本”というメディアなのかもしれない。そうなってくると、やっぱりプロが時間をかけてかいたものほど、遠ざける感覚もわからんでもないか。
佐藤:読む側にとっても、リスキーですもんね。人によっては1冊読むのに何日もかかってしまうわけだから。ただ、本当に構造の強度が高い作品だったら、何年経っても読みたいって思ってもらえるはずで… でも、それをライトノベルで発見することは難しい現状なのでしょうか。
冲方:ライトノベルでも、一発芸的な作品が多くなってきてる気がするなあ。
神山:数が多いだけにね、追いかけにくくなってる難しさっていうのもあると思う。
でも賞っていうことで言えば、そこへコミットするためのハードルは、どんどん下げていっていいんじゃないかな。そういった人たちが、いつでも何度もチャレンジできる環境をつくれれば。ただ、ここがゴールじゃないってことは、明記した方がいいよ。で、そういうことをわかりやすくするためにも、やっぱり賞金は7000円にするといい(笑)。っていうか、こんな鼎談なんてやってる場合じゃなくてさ! なんだったら、ポッドキャスティングで投稿作品を朗読するとか。
佐藤:ハガキ職人的にモチベーションあげるのか! すごいとこ行き着いちゃったよ(笑)。
神山:いや、そこまで下げるのは、どうかとも思うけどさ! でも、続かないことには意味ないからね。賞をあげる方もあげっぱじゃなくて… 編集者もあんまりイイ飯屋には連れて行っちゃダメだよね。
佐藤:僕だって、デニーズで大満足ですよ。
冲方:普通の会社だって、入社して 2年は教育だって言いますしね。最初の1冊はもう印税2%とかで挿絵なし、とかでもいいのかもしれない。
佐藤:おふたりにとって文庫とは、どういう存在ですか?
神山:わりと人生の節目、節目には、いつも印象的な文庫本がある気がしますね。人生に寄り添ってる。
冲方:僕にとっては、目標そのものだった。ハードカバーからのスタートだったので。文庫って読者に近いイメージじゃないですか。早くそこまで辿り着きたかった。
佐藤:ちなみに、僕がライトノベルに入り込んでいったのは、夢枕貘さんと菊地秀行さんによって加速したところがあるんです。ふたりとも、文章上手かった。まったくタイプの違う文体なんですけど、ちょっとエロかったりして、小学生あたりだとイイ感じに下半身熱くなって(笑)。
神山:口当たりの良さは抜群。大人の香りをちょっと体験できたよね。
佐藤:その後、ライトノベルは、OVAの人気とともに消費されまくって、一端終わって… ここ5〜10年くらいでまた盛り上がってきてる。そのわかりやすさを武器に、活字離れをひきとめる最後の砦のようにもなっていて。でも、あまりに手軽で居心地がいいせいで、そこでみんなそこで止まってしまっているという。難しいところですよね。ただ、商売としてはまだ旨味がありそうに思えるから、どの出版社も参入するチャンスをうかがっている、という。ま、ガガガ文庫もそのひとつだったりするわけで。でも、落とし穴はいっぱいだということを肝に銘じないと… と思いますね。
冲方:新しい文庫レーベルということで、僕からお願いしたいこともあります。作家っていう大きなひとつのグループがあるじゃないですか、そこに向かっていつも刺激を与えて欲しいんですよ。同じことの繰り返しだと、絶対に発展しないから。新しい企画をどんどん出して、こういう活字の使い方があったんだ!、っていうのを発見させてくれるものにしてほしい。
佐藤:冲方さんがそういうことにすごく自覚的なのって、どうしてなんですか? 例えば、原作だけではなく脚本までやったり、こうした会議みたいなのに顔出したり、っていうのはやっぱりそういうところに理由があるんですか?
冲方:そうですね。錆びちゃうのは、そりゃ怖いですから。
佐藤:僕が知り合った人たちで、面白いものをつくってるなと思う人たちは、そうやって自覚的な人が多いんですよ。アーティスト性だけじゃなくて、どっかでプロデュース能力を発揮していて、自分の立ち位置を把握しながら、シーンを担っているんですね。おふたりはもちろん、紀里谷(和明)さんとか本広(克行)さんとか、みなさん自分の役割っていうのを考えている。今の時代っていうのは、アーティストであっても、「俺の好きな世界を知れ」みたいなことを言う世界じゃなくなってきたのかなって思ったり。
神山:いや、もちろん、最終的にはそうありたいんですけどね。でも、そこに行き着きたいがために、外堀から一生懸命埋めていってるっていうのはある。
冲方:いきなり、本丸攻めても壁が厚すぎますから。
神山:僕だって、ロマンチストでいたいよ。でも、究極リアリストにならなければ、ロマンチストであり続けることは不可能だと思ってるんですよ。
冲方:それ、正しいですね。

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1977年2月14日生まれ。岐阜県出身。96年『黒い季節』で第1回スニーカー大賞・金賞を受賞し、デビュー。『マルドゥック・スクランブル』(ハヤカワ文庫JA)で第24回日本SF大賞を受賞。小説執筆のほか、アニメ、ゲームのシナリオ企画、漫画原作などの分野でも活動中。

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1966年3月20日生まれ。埼玉県出身。85年スタジオ風雅に入社。『アキラ』『魔女の宅急便』等に背景として参加。96年、プロダクションI.Gにて押井守が主催した押井塾に参加後、『人狼』演出『BLOOD』脚本『攻殻機動隊S.A.C』『S.A.C2ndGIG』でシリーズ構成と監督を勤める。現在は『攻殻機動隊S.A.C/SOLID STATE SOCIETY』『精霊の守り人』を制作中。
記念すべきガガガトーク第1弾には、勢いがあってイノベイティブな、アニメの監督とアニメ化される側の作家の意見を聞きたかったんです。そこで実現したのが今回の鼎談。
以前、冲方さんにインタビューしたときに「短編に300人の登場人物を出した山田風太郎を超えるために、『マルドゥック』ではそれ以上の人物を出し、風太郎越えを果たす」と言っていた。一方、神山さんも『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』の企画会議で「今回は士郎正宗を完コピして模倣犯になる。模倣の果てにオリジナルをつくる!」と宣言。ふたりとも、自分内ルールをつくり、それを超えていっている。このふたりをあわせたらまず間違いないと思ったし、その予想以上のエキサイティングな鼎談になりました。話しているうちに、新しく『ガガガ』をはじめる僕たちの立ち位置が再確認できました。それは、『ガガガ』はライトノベルというニッチな世界に身を置きながらも、しかしそのカウンターでなければならない、ということ。
公開会議ともいえる鼎談企画ガガガトーク。未だ見ぬ新しいライトノベルの企画書をドキュメントしていきます。
2006年06月10日 trackback (1) ▼

